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ふるさと発見記

昭和27年9月27日江戸川乱歩が川崎秀二氏選挙応援にため57年ぶりに名張を訪れ、乱歩が生まれた当時のことを知る老人に会いました。そして乱歩は翌年雑誌「旅」1月号に「ふるさと発見記」を書き、昭和30年11月には生誕地碑の建立に繋がっていきます。ここでは「ふるさと発見記」と乱歩の訪問を受けた老婆の日記また新聞記者に写してもらった写真などを合わせて紹介します。


桝田病院院長桝田敏明氏と乱歩
家主の病院は昔のままで、ただ表に大きいガラスとが入って
外見がいささかかわっているだけであった。


今も見ることができる木屋正酒造の杉玉
古風な「杉の丸」の造り酒屋の看板に出会ったのも懐かしい


私の母は毎日ここへ出て洗濯したのである(中略)
この風景は母がここで洗濯した頃と、
おそらくあまり変わっていないのではないかと思われた。




生まれた場所に立つ乱歩
建物は変わっていたが両親と祖母が暮らし、乱歩が生まれた借家は
邸内のこの辺りにあった


辻せきの日記


辻せきが書いた横山文圭邸見取り図
北東の角に乱歩が生まれた平井家の借家があった


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