「愛の話を、しましょうか。」

私はスナック嬢だった初めの時代、20代中盤・20年程前に「なんかちょっとおもしろいかも…」ぐらいの軽薄な気持ちで、そこそこ仲が良くなったお客さんとか初見の羽振りも頭も良さそうな、そのお店に〝常連〟っていう名札で通っている時点で明らかに寂しいであろう男性に不自然ではない会話の流れで『愛って、なんだと思います?』っていう質問をする悪趣味な遊びをしていて、それはそれは色んな出自の色んな現状の、性格の、お店に置いているキャラクターのお方の回答を拝聴しました。大体はひとこと。あんまり説明をしない。のだけれど、私がその質問を投げたことをきっかけに(大抵は酔っ払っているから私がそんな質問をしたことも忘れている)、今まで話さなかった苦労話や武勇伝を話してくれて、役得だなって思いました。チョロい役得。その遊びはエリアや時給や私の年齢が変わっても実はこっそりひっそりと続けていたのだけれど、体感としては最初の気付きとあまり変わらなくて、夜のお店には愛を疑っていたり知らなかったり決めつけていたり、そこに実は在ったはずのものを誤読しているが故に考えることを放棄していたり、それでも『愛』を渇望している男の人が、哀しいかな身銭からユルくだったり、細々と切実だったり、時には貸借をしてまでソレに似たものを買い付けることで、お商売・営業が成り立っていた。(これはスナックのはなし)


上手に言えていないけれど、乱暴に続けるね。



そんな庶民の人生の悲喜交々を知ろうが知るまいが、把握をする必要がないお立場の御人は、ザックリ同じカテゴリに括られるお店でもっともっと沢山のお金を使って場を成す、みたいなことになっていたんだよね。これは繰り返すけれど20年ぐらい前に目撃した景色の体感。今はぜんぜん違うかもしれない昔の話だよ。大きなお金が動いていると、『愛とは?』なんていう愚図な命題にオモシロは作用しなくて、発話した瞬間に無粋でくだらないものに成り下がって霧散する。私の純粋興味を伏せた会話で、6人のお客さまのお席の3ターンに、直接は投げ掛けなくても辛うじて1.5人の単夜のゲストにレベルの低いホステス仕草が伝わったことでメッカでも当時は死なずに生きながらえたけれど、そんなものは拙い構造理解で、言語が違うんだなって思った。だから烏滸がましくても同じ言語をどうにかこうにか持とうとしたんだけど、吃驚ぜんぜん通用しなかったなーwwこれは言い訳なんだけど、まぁーそもそもがお姉さんたちのヘルプだったし殆どの席でボトルを空けるための要員でしかなかったから、私の小さな歯は立たなかったです。そりゃそうだ。(これは高級クラブのはなし)


ずっと男の人の話をしていて、これを女性に反転すると話がもっと複雑になってしまうのと同時に興味深いのだけれど、それはもし私が綴りたくなる時までさて置くね。御免ね。


昨日、「実存の貧困」についての記事を読んで、ちゃんと結べない内発のままにこんな投稿をしています。これはただの備忘録です。私は書き文字で、なにを言いたかったのかが分からなくなってしまいました。。




ねぇもっと、愛の話をしようよ。
愛ってなんだと思う?











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