みんなイギリスに憧れているのでは?
これは夜遊びです。今夜お布団に入って眠る前の60分に何を綴ろうか。例えば今日の昼間に視界の隅を横切った美しくて痩せていた小さな猫に餌をあげたいお婆さんと保護団体は手を繋げるのか?とか、こんな夜にもトー横みたいな自然発生的にあった場所が形の名残の鱗粉みたいに新宿の夜には今でも彼女たちは生きているのだろうかとか、んー、、もう少し面白いことを言いたいのだけれどもう眠いから巧くは言えなくて、世界は興味だけで成立する。文化をお手玉みたいに遊べることの危うさと強度に最近は思いを馳せている。その他の大勢には見付からない乱暴な言説には引力があって『つい』引っ張られてファンネスが発生してしまうのだろうなって思う。良いよね、景色として。純度が高いことは美しいから。暴力じゃない引力って、難しい。難しくない?
どんなに丁寧に上品にやっても、そこに1ミリも乱暴がなかったら興味を引き連れることにはならないんじゃないんだろうか。私が知らないだけでアフタヌーンの紅茶みたいな柔らかで嫋やかな世界にお呼ばれをしたらきっと私はスコーンやジャムを投げつける。(これは呼ばれないから言えることだ)敢えて大人しく外資に従って抗うのだとしたら、其処に小さな爆弾のようなおはぎやみたらし団子を置くみたいなこと。しまった……、下手をこいたわね。ヌン活を暴力に置き換えてしまった。
御免やで。
アフタヌーンティーって本来は淑女のただの遊びで雑談の形式にずっと見目麗しいお菓子があって無限にお茶をお給仕さんが注ぐのでうっかり喋っちゃうっていう政治的な機能が今の日本の女の子の界隈では〝映え〟〝エンタメ〟〝インフルエンス〟にお小遣いを投げるっていう遊びと文化がうっかり成立していて景色が良い。日々の営みにホテルクオリティの〝アフタヌーンティー〟が在るのって素敵だね。其処にはみんな多少の課金の頑張りが発生していてもだ。
結局は今夜、何を言いたいのかはもう分からなくなってしまったのだけれど紅茶を淹れる時のお湯の温度は100度以上だとちゃんと美味しいよ。それは沸点の向こう側だ。