あとどれくらい?
最近は実家に帰ると何かに触れては悲しくなる。
避けては通れない、いつかくるお別れを、どうしても感じてしまう。
急に暗い感じですみません。どうも、ヂルです。
今日は父のことを聞いてください。
父は現在71歳。年齢だけでいえば、まだそんなにおじいちゃんって感じでもない歳だと思います。最近の70代の人たちって趣味に仕事に本当にお元気な人が多いですよね。
ワタシの父は間質性肺炎という病気と膀胱がんで、すっかり床に伏せている状態です。
間質性肺炎に関しては、きっと薬がしっかりと効いてくれた人なのだと思います。
この病気が分かってから、別の病気にもいろいろと罹っていて、なかなか厳しい状態に追い込まれることが多いけど、これまでは毎回不死鳥のように戻ってきてくれていました。
それでも入院するたびに基礎体力も衰えるし、元気を取り戻せるという訳ではなくて、一命を取り留めているというと大袈裟に聞こえるかも知れませんがそんな感じです。なんとか乗り越えてなんとか命が繋ぎ留められているのだと感じます。
父はとんでもなく頑固で、できるだけ自分の力でやりたい人。何かに頼るとか、誰かの力を借りるということが本当に下手というか。これはもう性格なんでしょうね。今は歩くこともほぼ困難で、自宅のトイレに行くだけでも呼吸ができなくなってパニックになるほどでも、通院のときに車椅子を借りることも受け入れられないくらいです。
そういえば昔仕事で事故をしたことがあって。解体している家の窓ガラスが外れて手首に落ちてきたことがあったんですよね。現場の番線で腕を締めていたらしく出血はわりと抑えられてたみたいだったけど、もう左手は使えないだろうという状態でした。
そんなときでも病院から電話が入ると母がびっくりするだろうからと、看護師さんに自分の携帯から電話をしていただいて、自分で怪我をしたと母に伝えるような人です。
ちなみにその手術中、聞いていたよりも早い段階で手術室の扉が開いてね。車椅子に乗って、看護師さんに押してもらって。腕を支えながらの状態で。あれ?と思って近寄ったら「まだ終わってない。トイレに行くだけだ。」と。トイレに行きたくなって尿瓶を用意されても、そんな恥ずかしいことはできないからと、無理を言ってトイレに行かせていただいたそうで…。ここまでくると自分勝手なんですが、そういう人です。
話が逸れました。すみません。
そんな父は間質性肺炎だと診断されて、息苦しさの理由も納得できたものの、最初酸素を導入しませんでした。当時から苦しさはあったと思うけれど、酸素を使う怖さの方が大きかったのかな。2019年からは外出するときには酸素を引いて歩き、家にも大きな機械がやってきました。それでも外には絶対持ち歩いていたけど、調子がいいときは外したりもしていたんですよね。
そんな感じで波はあるもののここまで過ごすことができました。
でも今年の1月の入院から本当に急に体力がなくなっていった気がします。
冬を乗り切れると多少安心する気がしていたけれど、今年はそんなこともなく。
今まではリビングに置いてある介護ベッドで身体を起こして過ごしていたけど、梅雨前くらいからはほとんど起き上がることはなく、目を閉じている時間が多くなりました。
特にこの2か月くらいは目に見えて調子がよくない気がするのです。
今月はいって実家に帰ったとき。
父から買って欲しいものがあると言われました。外出ができないのでネットで買い物するのが好きになっていたのですが、今年はあまりそういうこともなく。物欲があるならいいことだなぁなんて思っていたワタシです。
父が欲しいと言ったものは
ボイスレコーダーでした。
欲しい、と言った理由はなんとなく分かってしまったし、聞きたくなかったから聞かなかったのに
先週手元に届いたあと使い方を教えて欲しいと言われて「お父さんが死んだら、これを聞け」と言い出すので、何でそんなこと言うんだよと思いながらそのときは笑ってやり過ごして。寝る前にひさしぶりに体中の水分がなくなるんじゃないかと思うくらい泣きました。
その日は身体の調子がだいぶ良くなかったのかもしれません。
今年いっぱいは生きられると思ったけど、こんなんじゃ無理や
死ぬときは誰が迎えに来るんやろうか
毎日毎日苦しいだけで…
延命するようなことだけはやめて欲しい
そんな言葉をボロボロと零しました。
はじめて見た父の苦しそうな顔と、か細い声。
ワタシはあの父の姿を一生忘れられないと思う。
もうお風呂も週に1、2回。身体も自分では拭けないから母に拭いてもらっていて。
トイレに行って帰ってくるだけで、呼吸困難のように苦しそうな状態になる。
どんどん状態は良くないなと感じているけど、父自身が死を間近に感じてしまうほど、毎日の苦しみは想像できないものなんだろう。
これが最後かも知れない、と何度も覚悟した。
それでも父はいつも戻ってきてくれた。
だけどそんな状態が何年も続くとは思ってなくても、普通の人よりも短いとは思っていてもそこにいてくれている間はやっぱり奇跡みたいなことが起こってほしいと願ってばかり。
ワタシは臆病で怖がりで。
時間は有限で、何事もなく過ごせる日常が当たり前ではないといつも思ってる。
ワタシの周りにいてくれる人も環境も物や時間、全部が当たり前じゃないと思ってる。
朝晩神棚に一日を無事にはじまらせてくれてありがとう、一日を無事に終わらせてくれてありがとう、と手をあわせるほどには思ってる。
(意味があるのか分からないけど、ばあちゃんとじいちゃんもそうやって神さんと仏さんに手をあわせてたからやってる。さん付けで呼んでたから親近感がすごい)
父を死なせないでくださいなんてことを思ってるんじゃないけどね。でもまだ一緒の時間軸にいたいなぁって思うんだよ。
苦しいかも知れないけど、いなくなるの寂しいから頑張って生きてね、ってことでもないんですよ。でも寂しい。父がいないって思っただけでも涙が止まらなくなる。
やだ、さみしい、かなしい。
なんて言えばいいのかなぁ。
なんて祈ればいいのかなぁ。
お父さんのいる世界がいいなぁ。
いつかのお別れは想像もしたくない。
30過ぎてからね、全然泣けなくなってね。感情に鈍感になってきたのかなとか図太くなってきたのかなって思ってたんですよ。あまりにも何があっても泣けなくて、泣けたらすっきりするのになって思うことにも泣けなくなってたんですよ。
でも最近は理由もないのに悲しくもないのにいきなりボロボロ涙が出てくる。
涙が出ると父が浮かんでくるから、自分では考えてないつもりでも心の中で知らないうちに考えてるのかなって思ったりもします。
何の脈絡もない暗い話をツラツラと書いてすみません。ひとりで考えて泣くことに、ちょっと疲れてしまいました。
あとどれくらいの時間が許されているのか分からないけど、少しでも楽しいとか嬉しいとか、明るい感情を共有できる時間を増やせるように頑張ろう。
長文になってしまいました。
最後まで読んでくれてありがとうございます!