■■■さん
※少し不気味に感じる話かもしれません。苦手な方は退避お願いします。
角部屋の203号室は、現在は空き部屋です。
半月ほど前まで、■■■さんという方が住んでおられました。
■■■さんは、きちっとされた方で、いつもかっちりした白いシャツをきて、ぴんと背筋を伸ばして歩き、偶然すれ違うときには、ゆっくりと15度くらいの角度で頭を下げ、静かな声で、「こんにちは」とあいさつをされます。
私が仕事に向かう時間と、■■■さんが仕事から帰って来る時間が丁度重なるようで、仕事の日には、よく朝のあいさつを交わしました。
■■■さんは、標本士の仕事をしているのだそうです。
■■■さんには、お姉さんが一人いて、果物の研究をしています。
姉からもらったので、と以前、葡萄をお裾分けしてもらったことがあります。
また、■■■さんは料理に興味がある方で、一階に住んでいるご婦人と、パン作りの教室に通っていました。
上手くできたので、と、ご婦人と一緒に、作ったパンをもってきてくれました。
■■■さんは、時々、真夜中に帰ってくることがあるようで、足音などでうるさくしていませんか、とたずねられたことがありました。私はそんなことは全く気づかず、ぐっすり眠っていたので、それを伝えると、■■■さんはほっとした顔をしていました。
真面目で礼儀正しい■■■さんが引っ越したのは、寒い、よく晴れた、風のつよい日でした。
仕事の都合で引っ越すことになったことを告げに来た■■■さんは、お世話になったので、と最後に林檎をくれました。
不思議なのは、あんなに親切にしてくれた■■■さんの名前が、ちっとも覚えられず、今も少しも思い出せないことです。
203号室は、今も空いています。