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まぐろのさしみ(後編上)
買物にも癖があった。ほぼ毎回同じものを注文し、同じ調理を頼まれる。その中で欠かせないのがマグロの刺身だった。
「買い物に行きます」とみちるが声をかけると、毎回「刺身を頼みます」と言った。だが、先日から胃腸の不調があったのと梅雨の時期で生ものを自重する理由から、刺身を買わずにいる日が続いていた。
梅雨前から食中毒の研修を、うんざりするほど受けさせられているみちるとしては「梅雨が明けるまで待ってくださいね。どうせなら安心して食べましょう」と溜郷芳人を説得していたのだ。
たぶんよだれが出そうなほど食べたかったと思うが、みちるの顔を立てて我慢してくれていたに違いなかった。
そんなある日、いつものようにセミの声の中で訪問すると、いつもの「はーい」という大きな返事がない。
本能的に不吉な予感を感じて玄関を入った。薄暗い部屋に電気もついていない。障子を通り越して奥を覗く時間がスローモーションのようで重い。
溜郷芳人はベッドの上にあおむけに横たわっていた。すでに息をしていないことは確認せずとも分かった。部屋の空気が違っていたからだ。
同僚と比べて、みちるの担当する利用者は亡くなる人が多かった。みちるはそんなものかと仕事をしていたある日、他スタッフから「佐々さんて、担当した人が死ぬの多いよねぇ」と言われ意識するようになった。
そういえば入院したまま戻らないとか、訪問予定日に「予定は無くなりました」と上司から連絡があり「今日はお休みですか?」と聞くと、この方は担当しなくて良くなりました、と核心をはぐらかすような返事で亡くなったことを理解していた。
この時代の介護の在り方は閉鎖的だったから、死は忌み嫌うものだったのかもしれない。所属する公的法人にも、一介のヘルパーには利用者の死を公にはしない風潮の体制があった。みちるはそれが不満だった。
担当利用者については、病状を含め詳細な申し送りが必須だろう。末端の支援者、介護者まで気持ちをひとつにしなければならないはずだ。
初めて第一発見者になった、と思った。不思議と動揺はしない。部屋に上がり溜郷氏の枕元に近づき合掌する。
とっさにみちるは取り返しのつかない失敗に気がついた。
「さしみだ!」なぜ、買ってきてやらなかったのだろう。どうしてあの時、梅雨明けまでまって、と言ってしまったのだろう。
こんなことなら、食べさせてあげればよかった。
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