「日本人は滅びる」論争は柳井氏の敗北、前澤氏の勝利に歓喜する人々が“危険すぎる”ワケ
移民容認派の柳井氏に前澤友作氏が待った!
「柳井さんの言うとおり、今のままでは日本人は滅びるよ。というか、実際はもう滅び始めているんじゃないの?」
「バカヤロウ!そういう弱気なことを言っているから今の日本は元気がないんだよ。前澤さんのおっしゃるように、今の日本人に必要なのは、世界を見渡してもこんな素晴らしい国は他にないっていう自信だろ!」
我々日本人の行く末をめぐってネットやSNSで、こんな熱い激論が交わされている。きっかけは、ユニクロを運営するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が、日本テレビのインタビューで述べたこんな言葉だ。
「少数精鋭で仕事するということを覚えないと日本人は滅びるんじゃないですか」(日テレNEWS 8月26日)
労働力不足が深刻な今の日本は「日本人だけでやっていくのが難しい」と述べた柳井氏は、海外から知的労働に従事する移民をもっと迎え入れ、日本人と一緒になって研究開発をするなどして、日本の知的労働のレベルを上げていくべきだと提言。
さらに、労働生産性を上げていくためには、平均的なゼネラリストがたくさん集まってチームプレーで結果を出す、というこれまでの日本企業的な働き方から、「少数精鋭」という考え方にシフトをしていくべきだと苦言を呈したのだ。
これが「炎上」をしてしまう。ヤフコメには「日本を壊した張本人が日本の将来を憂う姿は片腹痛くて聞いてられない」「移民を解禁した方が日本人は滅びる」などの批判や反論が多く寄せられてしまったのである。そこに「参戦」をしたのが、衣料品通販大手「ZOZO」創業者の実業家・前澤友作氏だ。
自身のSNSで柳井氏のニュースを引用して「僕はなんだか逆のように感じます」と投稿をした後、こんな思いを綴ったのである。
「日本らしさ日本人らしさが今後の国力の鍵になる気がしていて、それを薄めてしまうような、グローバリズムに迎合して自らその渦に飲み込まれてしまうような考え方には違和感があります」
さらに一夜明けて日本に今最も必要なものは「俺たちの国いいだろ?っていう自信」だとして、映画化もされた人気マンガ「キングダム」と、その登場人物たちを引き合いに出してこんな持論を展開した。
「士気とか自信で人の生産性って全然変わる。移民で労働人口を増やそうとする前に、日本人の労働生産性の最大化を諦めたくない。日本人の底力はこんなもんじゃない。もっともっとやれるはず。政治にも経営にも信とか政みたいなリーダーシップが必要。俺もやる」
こちらは柳井氏と対照的に共感・賛同の声が多く寄せられた。あくまでネットやSNSの反応にすぎないが、「日本人への提言」への支持という点では、前澤氏に軍配あがった形である。
この結果について、個人的には「そりゃそうか」という納得感がある。
柳井氏の危機感はごもっともだが、「移民」はいただけない。今、日本の労働生産性を下げて、成長にブレーキをかけている最大の要因は「低賃金」だからだ。
単純労働であれ知的労働であれ移民を増やすことは、国内労働者の賃上げの機会を奪うので、この問題を先送りにさせてしまう。そういう意味では、「移民で労働人口を増やそうとする前に、日本人の労働生産性の最大化を諦めたくない」という前澤氏に強く共感する。
「少数精鋭」も言わんとしていることはわかるのだが、これも今の日本で推進したら、多くの犠牲者が生まれてしまうだろう。
日本は教育基本法によって、幼稚園から高校という人間形成にもっとも重要な時期に「規範意識」を徹底的に叩き込まれるという、先進国の中でも珍しい教育方針を採用してきた。わかりやすく言えば、「ルールを守ってみんな同じ行動をするのが正しい日本人」という教育である。
天才児はどんどん「飛び級」をさせたり、成績優秀者だけを集めてクラスを編成したり、ということが教育現場で当たり前の国ならいざ知らず、「みんなと同じ」を過剰に求める日本の教育システムの中で育った人々にいきなり少数精鋭だ、競争社会だと言われたら、ほとんどがパニックになってメンタルがやられてしまうだろう。
柳井氏の主張を無視するなら戦前の日本と同じだ
ただ、そういう個人的な意見ちょっと脇に置いて、あらためて両者を見比べると、これからの日本を考えたとき、柳井氏の提言にもしっかりと耳を傾けるべきという気もしている。
「本当に危機が迫っているときは、大衆が嫌がるような提言の方が的を射ていることが多い」という歴史の教訓があるからだ。
もっと言ってしまうと、「世界との戦い」というシビアな現実を突きつけられた日本人は「日本人らしさ」みたいな精神論にすがって悲惨な結末をたどる、ということも我々は過去から学んでいる。
このわかりやすい例が、太平洋戦争のはるか昔から、「日米非戦」を提言していた軍事評論家・水野廣徳である。
1924年、アメリカで排日移民法が制定され、米海軍が太平洋上で大規模な演習を行ったことで、「反米感情」が盛り上がっていた。国民の関心は「もしアメリカと戦争をしたらどうなるのか」ということだった。
そこで元海軍大佐が水野が唱えたのが「日米非戦」である。水野は「中央公論」(1925年2月号)に、「米国海軍の太平洋大演習を中心として」を寄稿。その中で、「日米戦争の勝敗を決するものは武力よりも経済力である」と断言、アメリカを「現代における世界第一の富国」として、日本の経済的実力とはあまりに大きな差があるとした。つまり、「戦っても負けるのでやめた方がいい」というわけだ。
第一次大戦での自身の体験からも、兵器弾倉、兵站などを供給し続ける経済力こそが国の強さだと確信していたのだ。
現代人の感覚では、冷静かつ論理的な提言のような気もするが、これが今でいうところの「炎上」をしてしまう。対米強硬姿勢を支持する国民から「崇米論者」「恐米病」「平和万能論者」などとボロカスに叩かれてしまうのだ。
日本人をちっともいい気分にさせてくれない、むしろ自信を喪失させるような、水野の提言は時が経つほどに隅っこの方へと追いやられていく。しかし、その提言は傾聴すべきものが多くあった。
水野は満洲国が独立した1932年に「打開か破滅か興亡の此一戰」(東海書院)という本を出す。ここではこの満洲国によって、中国で対日抵抗が激化して、それが日米開戦に発展するというシナリオを示して、中国戦線での泥沼化、さらには東京が空襲されて膨大な数の人が亡くなるという近未来まで予測されている。
では、このような「慧眼」を持つ水野の話にそっぽを向いて、当時の良識のある日本人たちはどのような提言を支持したのか。わかりやすいのは、同じく元海軍少佐の軍事評論家・石丸藤太が著した「日米戦争 日本は負けない」(小西書店)だ。ここでは水野と対照的に戦争で重要なのは「金ではなく人」「国民の精神的動員」だと主張をしたのである。さらに、アメリカ人は愛国心が乏しく、「忠君愛国の精神旺なる日本人には敵し難し」と根拠のない「日本スゴイ論」を披露している。
ただ、これが良かった。皆さんも自信喪失した時に「お前はスゴイ」と褒められると、前向きになれるだろう。気がつくと、このような「日本人最強説」が巷に溢れて、そこに異論を唱える者は「国賊」「非国民」と批判される、という同調圧力の強い社会になっていた。
それを象徴するのが最近、NHKの朝ドラ「虎に翼」にも登場をして話題になった「総力戦研究所」が出した「日本必敗」という結論の黙殺である。
近衛文麿首相直属のこの研究所は1940年秋に創設、軍だけではなく各省庁、さらに民間からもさまざまな分野の若きエリートが集められて、アメリカとの総力戦についてシミュレーションを繰り返した。
そこで41年の8月に出た結論は「国力上、日本必敗」。奇襲作戦を敢行すれば緒戦の勝利は見込まれるが、戦争が長引けば経済力・資源量の圧倒的な差で敗退を余儀なくされる。最終的にはソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから、なんとしとも日米開戦を回避しなくてはいけない、というのだ。
元海軍大佐が十数年前から訴えていた「日米非戦」という提言に、時を経た若きエリートたちも同じく辿り着いたのである。しかし、結局この提言が受け入れられることはなかった。
いろいろな理由が挙げられるが、実は大きいのは「世論」だ。当時、日本では反米感情も盛り上がっていたが、映画館ではたくさんアメリカ映画が公開されていたので、この国の圧倒的な資源量、経済的豊かさについては誰もが知るところだった。
こんな大国と戦えば、日本などひとたまりもない、と不安に感じる人も多かった。しかし、一方で、そんな不安をかき消してくれる「提言」も世の中に溢れていたのだ。
わかりやすいのは、総力戦研究所がシミュレーションをスタートした41年4月に発売された「太平洋波高し : 日本を襲ふ魔手の正体」(中川秀秋 興亜資料研究所)のこの一節だ。
「石油がない、鐡がない、これはどうしても解決出来ない様でありますが、これとても私をして言はしめれば、今まで餘りに欧米式産業形態にとらわれ過ぎた為であると考へます。(中略)即ち、この様な狭い領域から飛び出した新科学時代を完成し、日本的な科学をもつて世界を指導しなければならぬのであります(中略)現代日本の資源対策も、目前の事にばかり拘泥せずもつと遠大な計画の下に研究を進めればこの風光明媚な日本の山河、何一つとして資源ならざるなきに至るであらうことを確信致す」(同書3〜5ページ)
ここまで言えば、なぜ筆者が、柳井氏の提言にもしっかりと耳を傾けておくべきと考える理由がわかっていただけたのではないか。
もし水野が訴えた「日米非戦」があの当時、もっと社会に受け入れられていたら、十数年後の総力戦研究所の「日本必敗」もあるいはもうちょっと違う受け取り方をなされていたかもしれない。国民をいい気分にさせない提言が、実は長い目で見ると「日本滅亡の危機」から国民を救うこともあるということだ。
前澤氏の提言が悪いとか、間違っていると言っているわけではない。これをもてはやす「空気」が危ないと言っているのだ。
前澤氏の話は、日本人として勇気が湧く。日本人はスゴイのだと誇らしく思えるし、「日本人らしさ」を押し出すことで国力がつく、というストーリーは希望が持てる。そうであってほしい、と心から願う人も多いだろう。筆者もそうだ。
しかし、歴史に学べば、このようにみんないい気分になる提言に、みんながわっと飛びついた時、我々日本人は「異論」を徹底的に排除する悪い癖がある。
つまり、水野が訴えた「日本非戦」や、総力戦研究所の「日本必敗」という提言を葬り去った「偏狭な自国中心主義」というものを社会に蔓延させてしまうのだ。。
このような排他的なムードを回避するには、「異論」も認めることだ。柳井氏の提言のように、多くの日本人として受け入れ難い主張にも、実は問題解決の鍵が隠されていることもあるのだ。
そのような意味では今、日本人が滅びないためには必要なのは、「異なる価値観を認める大らかさ」なのかもしれない。
(ノンフィクションライター 窪田順生)
以下、私が書きました。
最近、政府は、求人を出しても日本人が来ない、16の分野(介護、農業、漁業、製造、自動車運送、外食、建設、自動車整備、飲食料品製造、航空、宿泊、ビルクリーニング、造船・船舶工業、鉄道、林業、木材産業)で、技能実習制度を変えて、永住できるようにしました。
そうしなければ、日本の産業、国が回らないためです。いわゆる「3K」、汚い、きつい、危険な仕事に、日本人は就職しなくなりました。どんなに求人をしても、誰もきません。
先進国は、みな同じです。「3K」の仕事は、外国人が担っています。
しかし、欧米では、外国人を排斥する動きがあります。
イギリスでは、移民が争点となって、EUを離脱しました。現在は、離脱しないほうがよかったという英国民が多いそうです。
フランスでは、大統領選で中道のマクロンと極右のルペンが争い、マクロンが辛勝しました。
オランダでは、極右政党が与党になりました。
アメリカのトランプ大統領候補は、自国第一主義、移民排斥を訴えています。
こうした国と比較して、日本は、外国人を排斥する動きが少ないと感じます。一部のレイシストくらいです。
その理由として、外国人自体が少ないということがあります。
また、政治的な課題に関心が低いとも言えます。これは選挙の投票率にもあらわれています。
また、どの国の人も同じですが、自分の国を愛しています。純粋な愛国心があります。
極右政治家は、国民の純粋な愛国心を利用しています。
「愛国心は、悪人どもの最後の逃げ場所だ」という言葉があります。
国民は、経済的な不安、軍事的緊張、地震への不安、気候変動問題等、不安を抱えています。
こうした不安を抱えた国民にとって、愛国心を鼓舞するリーダーは人気になります。自分たちを助けてくれると期待をもちます。
愛国心という宗教になっています。
「愛国心は一種の宗教である。それは悪しき宗教である」という言葉があります。
極右政治家は、純粋なふりをした悪人であることは歴史が証明しています。たとえば、ヒトラーです。プーチンです。極右政治家は、独裁者になる傾向があります。
純粋な愛国心を利用され、こうした悪人に騙された国民は憐れです。
そうならないためには、一人一人が賢明にならなければなりません。
また、日本人が、一斉に、極右政治家に流されたとき、反対の声をあげる勇気をもたねばなりません。
そのためには、普段から、正しいことのために勇気を出す訓練をしなければなりません。たとえば、電車で席をゆずる、困っている人を助ける等、身近なことです。
私は、いつも、悪人を見過ごすことができませんでした。高校時代、悪人に反抗し、暴力にあい、反撃され、不登校になりました。しかし、乗り越えました。自分は、何も悪くないと気付き、悪人が怖くなくなりました。
大学時代、バイト先にいじめがありました。いじめをやめるように言いました。これによって、私は、一生涯の宝の思い出をつくることができました。
ライター時代、正義のために、危ない橋を何度も渡りました。
私は、勇気だけは自信があります。言葉を変えると、馬鹿です。利口な生き方はできません。正義のために生きています。