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お弁当エッセイ「ハーモニー」

 私は小学6年生まで、遠足や運動会など、楽しいはずのお弁当が苦手だった。運動会には、塗の重箱に詰められたお弁当を覗き込まれるたびに「凄いご馳走ですね」と言われる事も嫌だった。彩鮮やかな豪華な巻き寿司、エビフライ、トンカツ、テキ(牛肉のステーキ)筑前煮、卵焼き、紅白寒天、蒲鉾まで入っていた。見た目と彩を重んじる祖母と母の気合のはいった合作だった。私は、豪華な酢飯の巻き寿司ではなく、運動会には、真っ白な普通のお握りがよかった。祖母と母に頼んだが、だめだつた。
 一番苦手だったのが、遠足のお弁当だ。私の通う小学校は毎年、戦国時代に要塞だった山頂へ登った。山登りには1時間はかかった。「祇園精舎の鐘の声……」のように、何もかもがすべて朽ち果て、見晴らしのはよかったけれど雑草だらけの「山の中」そのものだった。トイレも水飲み場もない。遠足に行って帰ってくる間、持参の水筒の水しか飲めないし、ましてやトイレは帰り着くまで我慢するか、草むらの中で用を足すしかなかった。小学生にとっては過酷な遠足の場所でもあった。
 私の家の家事は、すべて祖母がやっていたけれど、遠足の日は働いている母も早起きをして手伝った。二階の子供部屋から台所に降りてくる階段の途中で、プーンと海苔と酢飯の香りが漂ってくる。ニッスイの細長い魚肉ウインナー、黄色い沢庵、胡瓜の細巻き寿司を作っているのだ。そのたびに、私が愕然としたものだった。小学生の私は、寿司飯が苦手だった。運動会の豪華な巻き寿司も同じだ。
 台所へ入るなり「普通のおにぎりにして!」と、何度も祖母と母に抗議した。小学生低学年では言えなかったが、高学年にもなると言いたいことは言えるようになる。そのたびに「遠足のお弁当は見た目と彩りが大切なの!」と、一喝された。  
 祖母と母が手際よく細巻きを作ってゆき、四角いお弁当箱に配色よく綺麗に並べてゆく。子ども心にも、見た目はウキウキする配色である。その横に、遠足の時に必ず入れるテキ・トンカツ・蒲鉾・卵焼きが定位置に美しく入っていた。テキはその当時の薄いステーキ肉を味醂と醤油につけて、グリルで焼いたもので、私の大好物でもあった。
 想像してもらいたい、濃い醤油味のテキと寿司飯を一緒に食べる口の中のハーモニーを。濃い醤油味のテキは、やはり白米が合う。トンカツも同じだ。
 私は、遠足の度に「普通のおにぎり」を要求したが、毎年却下され続けた。昔は「食べ物を残すと罰が当たる」と言われていたので、私はおかずだけを先に食べて、苦手な酢飯の細巻きは、最後に口の中に詰め込んでいた。酢飯のおかげでのどがかわいて、水筒の水は全部飲み干し、その結果……。女子としては耐え難い試練が待っていた。
 6年生の最後の遠足の時。とうとう我慢しきれずに、私のお弁当の細巻き寿司を「細巻きうまそう!」と覗き込んだS君のシンプルな三角おにぎりと交換した。
 青空が広がる山の上で、初めて大好きなテキを白米と食べた時の幸福感は最高だった。小学生ながらも、口の中の味のハーモニーの大切さをしみじみと感じた日だった。
 大人になってステーキ寿司を食べたが、あれは酢飯の加減と肉のうまみが絶妙なバランスで溶け合い、口の中で美味しいハーモニーを生み出しているから大好きである。
 お弁当の見た目や彩も大切ではあるけれど、口の中に広がる味のハーモニーの方を私は大切にしたい。私の娘には、遠足や運動会には、真っ白いお握りに海苔を巻いておかずとともに見た目も彩もよく作った。
 還暦を過ぎた私は豪華な巻き寿司や細巻きを作るとき、すでに他界した祖母と母なりの愛をあらためて感じている。(1500字)

☆彡

今日、PC整備士さんにきてもらい、「つなげーと」の「地球カレッジ」が26日に上手く繋がるか調べていただきました。Outlookの送受信はできているのに、シドニーから原稿は送れませんでした。地球カレッジからの何かも文章も開けられませんでした。このままだと、講義の原稿が届くかどうかわかりません。結局、原因は分からないままです。今の所26日にならないと、講座が受けられるかどうかわからないらしく、今は当日待ちです。上手くつながりますように。

シドニーで繋がらなくなったiPhoneのアプリのツジビルは、日本に戻ったら正常にもどりました。SIMの関係かもしれません。あるいは娘の家のWi-Fi?

兎に角前向きに今の時代の様々な事にチャレンジしようとしているババです。ファイト!

今夜も早く休みます。金縛りはもう嫌です。早寝早起きに切り前ましょう。

ありがとうございます。