音楽「篠笛:青葉の笛」
随分前の秋の須磨寺の様子です。👆
先ほどまで、篠笛課題の練習曲と「荒城の月」「月の砂漠」をふいていました。「荒城の月」「月の砂漠」は楽譜を買って自分で吹いています。
さきほど「青葉の笛」をYouTubeで検索して、楽譜と歌を調べ、
篠笛の楽譜としておこしてみようと今、思っています。
この「青葉の笛」の歌は、小鳩くるみさん、森繁久彌さん、倍賞千恵子さんなどが歌ってもいます。それぞれで、まったく雰囲気が違って聞こえます、
この歌詞と曲は、この今の戦争の中。是非に歌い継がれていっていただきたい作品です。若くして戦いで亡くならねばならなかった若者の無念、さらには、自分の息子と同じ歳の敵を殺さなくてはいけなかった父親の無常な物語です。歴史は繰り返され、人間は成長しないのか?
私が篠笛をしょうと思ったのは
以前、地球カレッジのエッセイで「須磨寺」のことを書いた時に始まります。
その時、初めて「青葉の笛」という物がある事をしりました。
それは、約14年間の東京生活から神戸に戻ったときのことです。
私は、上京する前10年ほど、毎月須磨寺参りをしていました。
始まりは、夫の母(姑)が亡くなってからのことです。
両家のご先祖様への感謝の気持ちを込めてのお参りです。
夫婦ともに故郷を離れ、お墓参りに行けないと話していましたら
神戸在住の年配の方が、須磨寺は真言宗なので、何宗の方がお参りしてもいいのよ。と教えてくださいました。それで、20日21日のお大師様のお祭りの日に、10年間(手術月はのぞき)毎月お参りに行っていましたが、
一度も「青葉の笛」のことは知りませんでした。ただ、お参りに行って帰るだけの須磨寺参り。(こういうところが私らしいのですが……)
青葉の笛は、元々弘法大師が中国(唐)へ留学していた時に、長安の青龍寺という寺の竹(天竺の竹)で作ったといわれいました。大師が帰国した時、これを嵯峨天皇に献上し、嵯峨天皇が「青葉の笛」と名付け、その後、皇室から平家の手に渡ったと言われています。
寿永3年(1184年)源平の一の谷の合戦の時、須磨寺は源氏の大将源義経の陣地でした。海側に陣を構えた平家の裏をかき、義経は山から崖を馬で駆け下り逆落としの奇襲かけた。不意を突かれた平家は、海へと逃げるのですが、その中で一人だけ波打ち際で逃げ遅れた立派な鎧を着た平家の武者を熊谷直実が見つけます。
そこで一騎打ちになります。強い直実が武者の首を打ち取ろうとしたとき
なんと、自分の息子と同じ年頃(14歳~17歳)くらいの美少年でした。
その武者は素晴らしく潔く、直実に打たれました。その時、その美少年の鎧から落ちたのが一本の笛でした。
その日の朝方、平家の陣から綺麗な笛の音色が聴こえてきて、日々の戦いの中で疲れていた源氏の武将たちは皆、感動をしたのです。戦地に笛を持ち込む優しさに感動した直実は、打ち取った首と笛をもちかえり、太師堂前の池で洗います。源義経が首を見て「この方は、敦盛公である」と告げます。
この時、敦盛が持っていた笛が「小枝の笛」で、通称「青葉の笛」とも呼ばれ、現在、須磨寺宝物館に飾ってあります。(誰でも無料で拝観できます)
熊谷直実は、その後、殺し合いをしなくてはならない世の中に無常を感じ、法然上人のもとで出家します。
ここに「青葉の笛」のYouTubeの貼り付けをしたいのですが
やり方が判らないので、「青葉の笛」と検索していただき
歌を聴いて頂きたいです。
まだまだ練習曲の私ですが、「青菜の笛」「荒城の月」は
そのうち美しく篠笛の音色で奏でたいと思っています。
今朝は、何故か世界平和を心から願う私が居ました。
ありがとうございます。