一晩寝て起きてから
おはようございます。
昨夜は、金縛りもなく、ぐっすりと朝まで眠れました。
金縛りは、睡眠異常とも言われていますので、旅の疲れや体力の衰え、滞豪中が、細切れの睡眠だったということもあったのかもしれませんね。
昨夜、お弁当エッセイをアップしましたが、一晩寝てから、「あーまたやってしまった」と自己反省中。書き直しが目覚めた布団の中でどんどん浮かんできて……。
まず、書き方の順番がおかしい。
私が娘の遠足や運動会には、必ず白米のお握りにすることを書き、その理由から入っていった方がよかった、と思いました。
何故、祖母と母が、彩と寿司飯にこだわり、白米ではなく寿司飯にするのかという理由も書くべきでした。
私の中で、小学6年間の遠足や運動会の時の、苦手な寿司飯が、ある面ネガティブな思い出として残ってしまったのが、原因でした。祖母と母への批判も根底にはありました。最後まで白米のお握りにしてもらえなかったのも。
私は、随分までお寿司などの寿司飯が苦手でした。
お酢が苦手だと言うこともありました。食べられるようになったのは、中年以降です。今は自分で巻き寿司や散らし寿司やおいなりさんなどをよくつくるほど大好きですし、もちろん握り寿司も大好物で、食べに行ったりします。
祖母は私の記憶の中では、炊いた白米をわざわざ自分だけ、寿司飯にして食べていました。幼い頃、「どうしておばあちゃんはお寿司にするの?」と訊いたことがあります。その時は、夏の暑い日でした。
「寿司飯の方が、ご飯を食べられるのよ」との返答。
その当時、不思議でしたが、自分か歳を重ねてきて、疲れすぎてご飯が食べられないとき、お寿司なら食べられるということがあり、特に夏場は、酸味のあるものの方が、食欲がわきます。やっと、祖母の年齢に近くなり様々なことが理解できるようになったわけです。
巻き寿司や細巻きなど、彩を気にするのは、食べ物のない戦争を通ってきたからだと思います。それに運動会などは、その当時、地域の方々との交流の場でもあり、お重のふたに豪華な巻き寿司やおかずを取り分けて、親しいご近所のかたへ、会場でおすそ分けなどを、それぞれがしていたからだということも思い出しました。昔の運動会は社交場でもあったのです。
遠足の細巻きは、虚弱体質の母が大好きなもので、祖母は母が好きだから私も好きに決まっていると、思いこんでいたようです。普通の白米のお握りにしてほしいと訴えても、訊く耳をもたなかったのは、遠足は祖母にとって子どもの社交場と思っていたからだと思います。
さらに、運動会や遠足は疲れるので、お寿司が体に合うと、その当時の祖母は自分と重ねて思いやりから作っていたのでしよう。
いや~。一晩寝て、疲れもとれ、視点をかえるとまた違ったエッセイになったと思います。ま、いつもの私の悪いパターンなので、かなりの自己反省をしています。
あまりエッセイの本を読まない私でしたし、どちらかというと他の事ばかりに思考がゆき、その場その場のまわりのことをきちんとみていなかったから、エッセイが下手なのだとおもったり。
以前、故郷の歴史ものの人物のエッセイコンテストで入選したのは、歴史ものなので、その人物を調べて、その方を様々な角度から分析して描いたからだと思います。私は風景描写が苦手でした。グラウデイングが苦手だったころと重なります。しっかりこの世界と現在を生きれるようになってから植物や自然や様々なことに目が行くようになりました。でもまだ時々、おかいですが。笑 見ているようで見ていない、感じているようで、感じていない。
意識だけが、どこか違うところへ飛んでいる~。だから、理解されにくいし生きにくい。
話がそれてしまいましたが、今回の「エッセイ」も、ぜったいに没だったことは、よく理解できました。
さて、今日は暑くなりそうです。
ファイト!
ありがとうございます。