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日々のこと「自己反省」

ソエジマケイタさんのイラストをお借りしました。

なぜでしょう?
何度か読み直して、数日おいてから、地球カレッジのエッセイを送信する私ですが、以前もそうであったように、毎回、送信した後に
様々な気づきが沸き上がってくるのです。涙

2ケ月前。シドニーから送信できなかったエッセイですが、
(iPhoneのツジビルアプリもひらけなかったので、Wi-Fiの関係かもしれません)日本での今回はスムーズに送信できましたが、送信後、再度読み直して
あーーーー。またやってしまったと自己反省中です。落ち込む~。

エッセイではなく作文になっています。自己満の話になっている。
それに、また構成を間違えている。
「エッセイ」なのです、「作文」とは違います。
以前も、授業の中でお話がありました。覚えています。なのにです。

自分の手から離れたとたん。頭の流れがよくなるというか……
毎回、そうなのです。何故~??

この間noteにアップしたお弁当エッセイも、書き直しをしようと思っています。書き直してnoteアップしようと。それもなかなか出来ていないので、間違い直しの必要性を感じています。

なんでも、間違い直しは大切ですよね。
予習より毎日の復習が大切だと知ったのは、娘が中学受験するための
塾通いで……。遅い、なんでも遅すぎる……

もう送信してしまったので、あきらめて、次にゆきます。
こういう切り替えは、早い。はい。次!

☆彡
(推し活)
昨夜、「いまこの瞬間 愛しているということ」を完読。

本の帯

すごく切なくて悲しいのだけれど、何か大いなる者に救われた感じの有る読後感でした。登場人物像がそれぞれ素晴らしくて、引き込まれました。
ジェロームも魅力的だけど、ブノアのあの誠実な無骨さにも。人間分析凄い。さらに、料理の数々の描写も、辻さんだから書ける!

毎回思うけれど、辻さんの作品にはまると抜けられなくなるという現象が起きてくる。で、あまりにもはまりすぎると、今度は拒絶反応が起き、他の作家さんへとゆく。でも、ある時期をすぎたら、物足りなくなって、また辻さんの作品を拝読するようになる。この繰り返し。

ここに、歌と絵画とさらにはエッセイや小説の指導者の先生としての存在やツジビルの村長としての顔もある、さらにさらに愛情料理研家、三四郎君のパパシャンと、ご子息のお父様の顔もある。時々、この方はいったい何者なのだろうかと思うときがある。本当に様々な顔をおもちだ。

「ダリア」は衝撃的過ぎた。「ダリア」への想いを綴ろうとしながらも
なかなかできていない私がいる。深い。
辻仁成さんとは、何者ぞ?という、思いが日々わきあがってくる。
神か?悪魔か?天才か?全部か?他にも人間がすぐにはわからない、様々な才能が隠されている気がするのは私だけではないと思う。

だから、辻さんの作品は簡単に感想文など書けない存在だ。
読むほどに深い。文字だけではなく、行間にひきこまれる。

今日は、ここまでにしておこうと思う。

ありがとうございます。