話すという事
昨年から、人生を振り返るために月に一回。
第三者の専門的な方へ1時間ほど、話をしている。
東京にいた還暦前にも、同じことをした。
何故、身内や親族や友人ではないかというと、
私という人間を知っている人達では、逆に構えてしまって、
笑いを取ろうとしたり、話をぼやかしてみたりしてしまうから。
気を使いすぎるから。
第三者の聞く側の方は、傾聴している感じで、時折相槌を打つ程度で
指図もしなければ意見は言わない。あくまでも私が話すことで、自分の内面をまとめてゆく。そう、すべては自分なのだ。
今日はもう話さないでおこう、と思っても、その場にゆくと様々な話が出てくる。自分でも驚いている。
帰る時に「どうしてここに来ると話してしまうのかしら?」と言ったら「ここはそういう場所です」と、笑顔で答えられた。
スピリチュアルな気づきや、自己実現や様々な事も体験しているけれど、
これはある面三次元的なベタな作業でもある。超三次元。
私は「この世とは何ぞや」というテーマをもって生きてきたので、自分でもへんな人間だと思っている。だからこういう作業が必要になってくる。
今は、様々なことに偏り過ぎないように、うまくバランスを取りながらやっている。今日で4回目だったかしら?いつも終わったあと、帰る道すがら、様々な気づきがある。三次元的なこともあれば、面白いようにスピリチュアル的な事もある。話すことで整理できてくるので、とても楽になる。スピ系としてもらっきーなことでもある。パラレルがポジティブになる。
最寄り駅のショツピングモールに戻って、スーパーで買い物をしていたら、
もう随分久しぶりのママ友とばったり出会った。声をかけてくださった。
最近、またマスク姿の方が多いので、誰が誰やらわからないことが多い中。
久しぶりなので、スーパーの通路で30分ほど立ち話をしてしまった。
楽しかった~。お正月の間、冬眠のように籠っていたので、今日はよく話した日でもあった。
今夜は、春巻きを7個作った。それとお味噌汁とごはん。
帰宅したのが遅かったので、慌ててしまったけれど。春巻きは
美味しゅうございました。DSブログを見て、完全ではないけれど
家にある材料で作りました。
明日から週末まで雪が降ったり、もの凄く寒くなるそう。
皆様、暖かくしてお過ごしくださいね。
ありがとうございます。