見出し画像

祝福するため人はいかされている

日々、老人ホームで働く中で、私は何度も「祝福」という言葉の深さを思い知らされます。介護という仕事は、他者に尽くす行為と見られがちですが、その中には多くの感謝や学びが詰まっています。そして、その根底には「生きる」ということが持つ祝福の意味が隠されています。

出会いの祝福


施設の中で、私たちはたくさんの人生と出会います。ある入居者様は、かつて地域の先生として何百人もの子どもたちに知識を与えてきました。

また、別の入居者様は、戦後の日本を支える産業の現場で苦労を重ねてきた方です。それぞれの人生は独自の物語を持ち、どれも貴重で、かけがえのないものです。

例えば、90代のある女性は、若い頃に戦争で家族を失いながらも、強い意志で生き抜いてこられた方です。

その方が静かに語る「今が一番幸せよ」という言葉には、重みと真実が込められていました。

私たちが彼女たちの人生を聞き、尊重し、共に時間を過ごすことは、一つの祝福の形です。そしてその出会い自体が、私たち自身への贈り物でもあります。

生きる力を共有する


介護の現場では、「人は助けられる存在である」と同時に「助ける力を持つ存在でもある」ということを感じます。

入居者様が心から笑顔を見せる瞬間、それは私たちスタッフにとっても大きな喜びです。そしてその喜びは、互いの存在がもたらす力の証です。

一度こんなことがありました。認知症の進行が進んでいた方が、ある日、自分の部屋を間違えて別の入居者様の部屋に入ってしまいました。

スタッフが対応しようとすると、間違えられた方が静かにこう言いました。「いいんだよ、この部屋も彼の家だと思っていいんだから。」その一言で、場の空気が和みました。

人は、他者を受け入れる力を持っている。それを再認識させられる瞬間でした。

過去と未来をつなぐ仕事


介護の仕事は、単に高齢者の日常生活を支えるだけではありません。そこには、過去と未来をつなぐ使命があります。高齢者の方々が持つ経験や知恵、それは次の世代への贈り物でもあります。

先日、ある方が戦時中の体験を若いスタッフに語る場面がありました。

彼女は「何もない時代だったけど、人が人を思いやる心だけは満たされていた」と言い、その言葉がスタッフに深く響いたと言います。

その体験が語り継がれることで、私たちは次の世代に「思いやり」や「助け合い」の大切さを伝えることができます。これもまた、人がいかされている証と言えるのではないでしょうか。

支えることで支えられる


日々の介護は時に体力的にも精神的にも負担がかかるものです。それでも、その中で私たちは多くの力をいただいています。

入居者様が「ありがとう」と言ってくださるその一言には、何ものにも代えがたい価値があります。介護士として支えることで、私たち自身が心を豊かにしてもらっているのです。

また、人生の最期を見届ける場面では、深い悲しみとともに、その方の人生の意味を思う時間が与えられます。

そこに立ち会えたことは、決して偶然ではなく、祝福の一つであると感じます。命の終わりを尊厳とともに迎えること、それを支える私たちの役割の重要さを痛感します。

自分自身への問いかけ


「祝福するため人はいかされている」という言葉を胸に、私は自分自身にも問いかけ続けています。

私たちの仕事がどれほど社会に役立っているか。あるいは、日々の小さな行動が誰かの心を温めることができているか。

その答えを求める旅の中で、私は確信を持つようになりました。介護の現場は、一見地味で目立たないかもしれません。しかし、そこには人の命の輝きがあり、それを見守る私たちもまた生きる意味を見出しています。

おわりに


「祝福」とは、特別なものではありません。日々の中で感じる感謝や愛情、そして他者とのつながりこそが、その根源にあるのです。

老人ホームという場所は、その祝福に満ちています。だからこそ、介護士としてここで働くことができる私は、心から幸せだと思います。

読んでくださった方が、このブログを通じて「祝福」の意味を感じていただけたら幸いです。そして、日々の生活の中で小さな祝福を見つけるきっかけになればと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!