「父親の形見の靴、そして職人の手が繋ぐ記憶」――異世界の街角から
このエピソードは、墓太郎が贈る「異世界の街角から」シリーズの一篇です。このシリーズでは、異世界の片隅で営まれる人々の日常を描きながら、どこか現実とも繋がるような物語を届けています。
著者 墓太郎:https://x.com/Haka_tarooooo?t=SLuAfEvuvAbmVY-sEI430g&s=09
革靴職人のグラント老
街の片隅、石畳の狭い路地を抜けた先に、その工房はひっそりと佇んでいた。
軒先に革靴の片割れが吊るされ、周囲にはかすかに革の匂いが漂っている。
随分と年季の入った、だが、渋みのある良い佇まいだった。
その工房の扉を押し開けた若い男が、小さな鐘の音と共に中へ入ってきた。
「じいさん、これ直せるか?」
若者が差し出した靴は、深い傷と大きな穴だらけだった。
しかし、元々は良い品だったようで、ボロボロになった今でもこだわりのある作りが見てとれた。
何度も修理を重ねて使い続けられた跡があるが、それもまた味のようなもので、靴の歩んだ日々を語っているようであった。
職人、靴屋のグラント老は、無骨な指でその靴を持ち上げた。
目を細めながら、革の感触を確かめ、縫い目の緩みを指先で追う。
「ずいぶん酷使したな。普通なら捨てちまうだろうに」
「だからじいさんに持ってきたんだよ。これ、親父の形見なんだ。何とかしてくれ」
若者の言葉に、グラントは鼻を鳴らした。その反応は感情を隠そうとする彼の癖でもある。
この老人は昔から頑固で素直ではない、だけどもその代わりに腕はいい。そんな職人だった。
グラントは若者から顔を背け、作業台に戻ると、傷んだ靴を慎重に置いた。
「形見か。そいつを修理するってのは、容易い仕事じゃねぇな」
「それでも直してくれよ。他に頼れる奴いないんだから」
若者は、言葉に少しばかりの苛立ちを滲ませながら靴を押し付けるようにグラントへと押し出した。
その仕草にグラントは僅かに口元を歪め、もう一度靴を手に取った。
「まあ、任せとけ。どうせ俺以外じゃ無理だろうよ」
工房の中では、革の匂いと針を通す音だけが満ちていた。
グラントは靴の革を慎重に剥ぎ、傷んだ部分を取り除いていく。
修理するにしても新しい革を足さなければならない。
だが、彼はそうしなかった。何年も前に、まさにこの靴に使った革の余りを、長らく工房の隅に吊るしていたことを思い出したのだ。
まだ色褪せていないが、新品だったころの靴と同じ、赤みがかった濃い色の革を、大きなハンガーから手に取る。
その感触、色合い、香り――すべてが父親の靴に使われた革とぴたりと一致していた。
グラントの脳内で、最後にこの革を手に取った日のことが再生された。
「これなら、やれるな」
彼は軽く豚毛のブラシで埃を落としてから、新しい革を古い靴の型に合わせ、自然に馴染ませるように切り合わせていく。
針が革を貫く音が響き、褪せた色を取り戻す靴墨が塗り込まれ、ハンマーで形を整える度に、靴は少しずつ蘇っていった。
数日後、若者が工房を再び訪れた。
「じいさん、できたか?」
グラントは無言で作業台から靴を取り上げ、若者に手渡した。
それは以前のものと同じ形でありながら、何処にも傷みのない新品のように見える。
再び染め直されて補修され、革の色合いも父親が使っていた当時の記憶そのものだった。
「おいおい、本当に直しただけか? これ、まるで新品じゃねぇか」
「直しただけだ。ただし、少しばかり手間はかけた」
グラントはそっけなく言いながら靴の側面、一番傷みが酷かった修繕箇所に視線を落とした。
「ありがとな、じいさん。これでまた依頼をこなせる」
「そいつはお前を守るためにある靴だ。しっかり使いこなせ」
若者は笑いながら靴を手に取り、グラントの背中を軽く叩いて工房を後にした。
グラントはその背中をしばらく見送り、やがて無言で作業台に戻る。
工房の中は再び無音に包まれた。グラントはふと手を止め、若者が持ち帰った靴を思い返す。
靴に使った革の余りは、もうこれで全てなくなった。
「息子の役に立ってよかったな」
ぽつりと呟くと、彼は再び針を取り、別の靴の修理を始めた。
その表情には微かな笑みが浮かんでいた。
「異世界の街角から」シリーズについて
墓太郎著「異世界の街角から」は、宵闇書房が連載するショートストーリーシリーズです。異世界の日常を通じて、現実の私たちの生活にも響くテーマを描きます。
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➡ https://note.com/joyous_panda8650/m/m6e2d28ad8c1a
シリーズ関連作品もチェック!
「戦場に生きる傭兵と祈りを捧げる男」シリーズ
2025年8月10日発売予定の第1巻は、1人の傭兵がとある酒を探し求め、世界を彷徨う話。今回の革靴職人グラントも、同じ世界のどこかで生きています。
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最後に……
父親の記憶を繋ぐ靴、そしてその靴に命を吹き込む職人の物語。異世界で紡がれる、どこか懐かしさを覚える一篇を、ぜひ多くの方に読んでいただければ幸いです。