祈る者、闘う者、そして魔法を紡ぐ者
「戦場で生きる傭兵と祈りを捧げる男シリーズ」の世界へ、ようこそ。
血と鉄、祈りと沈黙に包まれた荒野に、初めて「魔法」という光が差し込みます。それは剣で血を流す代わりに、奇跡を生み出す力。今回お届けする短編は、世界初の魔法使いとその弟子が織りなす、ささやかながら確かな変化の物語です。
本シリーズは、2025年8月10日に第1巻が発売予定。著者・墓太郎が描き出す新たな異世界ファンタジーを、どうぞお楽しみください。
世界は、常に戦の煙に包まれていた。遠くまで伸びる荒野に、血と錆びた鉄の匂いがしみついている。人々は殺し合い、焼け跡だけが点々と残される。
剣と矢が支配する時代。祈る者はただ神の沈黙を聞き、傭兵たちは雇い主が差し出す金貨を手に、どこまでも血生臭い戦場を渡り歩いた。
その世界に、初めて「奇跡」を形にした者がいた。
魔法使い。
名をヴェルディといい、陽の光すら色褪せた荒野の真ん中で炎を起こし、風に命じ、土から花を咲かせた男。誰もが見たことのないその術は、不気味で、畏怖の対象だった。
やがて噂は広まり、傭兵団や領主たちの耳に届くと、各地でヴェルディを捕らえ、あるいは手元に置こうとする動きが始まった。
だが、ヴェルディは血まみれの大地を渡り、独りで旅を続けた。彼はただ、無意味に続く闘争がもたらす飢えや病、荒涼たる景色を少しでも癒やしたいと考えた。
焼け落ちた村で倒れた老人を癒し、飢えた子供に井戸から清水を湧かせた。奇跡のように見えるその行いは、剣よりも穏やかで、祈りよりも確かな「何か」だった。
そんなヴェルディのもとに、一人の少年が現れた。名をラウといい、痩せこけた体と、腕には錆びた刃物のような古傷が走っている。かつて傭兵団に拾われ、食い扶持のために、ただ敵の喉元を狙うことしか知らなかった。
けれど、その行為は何も生まないと感じるようになり、気づけば荒野をあてどなく彷徨っていたのだ。その途中で出会ったのが、赤い光を指先で紡ぎ出し、水を清らかに変えたヴェルディという男だった。
「あなたは……何者だ?」
ラウは問いかける。ヴェルディは静かに微笑み、血と泥にまみれた少年に清めの風を吹かせる。
「私は魔法使いだよ。この世界で初めての魔法使い……だと、自分では思っている。そう名乗るほかないからね。さあ、君は誰だ?」
「……傭兵崩れの身だ。剣を振るうしか術がなかった。けれど、もう剣で人を殺すのはまっぴらだ」
「ならば、新しい術を学んではどうかな?」
それは誘いでもあり、問いでもあった。ラウは、その男の手元で輝く小さな光球を見つめる。それは命を脅かす兵器ではなく、温かく、かすかに囁くような輝き。その日、少年はヴェルディの弟子となることを決めた。
以来、二人は戦場を避けて進みながら、わずかな魔力の流れを読み、ラウは両手を空に翳し、土を掴み、草葉の囁きを聞く術を学んだ。
だが、魔法は神の御業ではない。簡単に人々を変えることはなかった。
あるとき、彼らは傭兵崩れの盗賊に出くわした。ヴェルディたちを囲み、力を奪い、自分たちの利しようと狙い、刃を向ける。
「魔法使いとやら。この世界で初めての奇跡とやらを、俺たちに寄越しな。さもなければ、お前らを切り刻んで野草の肥やしにしてやる」
盗賊が剣を振り上げたその瞬間、ラウは思わず叫んだ。
「やめろ!」
手元に握る魔法の力など、まだ未熟で儚い。それでも、以前と同じように剣を握るのとは違う何かが、自分を支えている気がした。
彼は荒れた土に手を突き、祈りのような言葉を呟いた。刃を前に祈り命を乞う男は吐いて捨てる ほどいたが、そのどれとも重ならぬ祈りであった。
土が震え、盗賊たちの足元に蔓草が絡みつく。わずかな時間、それで足止めができた。ヴェルディはすかさず一息、空気を集めて突風を起こし、傭兵たちの視界を遮った。二人はその隙に身を引き、姿を隠した。
夜更け、枯れ木の傍で小さな焚き火が揺れている。その光に照らされ、ラウは顔を伏せる。
「……役立たずだった。ほんの少し土を揺らしただけだ」
ヴェルディは首を振る。
「いや、君は剣を抜く代わりに、魔法の芽を使って人を縛った。血を流さずに、彼らを止めた。確かに大した力じゃないかもしれない。でも、戦場しか知らぬこの世界で、血を流さずに相手を退けるその一歩こそが、奇跡の始まりだ」
ラウはかすかに肩を震わせ、火を見つめる。その揺らぎの中に、まだほんの小さな光が見えた。
「先生……僕は、強くなりたい。あなたのように。この世界で、祈りと魔法で、人を殺さずに何かを変えていきたい」
ヴェルディは笑みを返す。その笑みは、戦場に響く一瞬の静寂と安堵に似ている。いつか、この荒廃した大地にも、穏やかな風が吹く日が来るかもしれない、と信じる者の微笑だ。
かくして、戦場を生きる傭兵たちや、黙して祈る男たちが息づく世界で、世界初の魔法使いとその弟子は旅を続けていく。血と祈りだけの時代に、奇跡と呼ばれる新たな力を携えながら、彼らは進む。砂塵に霞む地平線の先、まだ誰も知らぬ未来へと。
いかがでしたでしょうか。
傭兵たちが血と金貨に縛られ、祈りを捧げる者が神の沈黙に苦しむ世界で、魔法が登場する意味とは何か。今回の短編では、その一端をお見せしました。
2025年8月10日に発売予定の第1巻では、より深い戦乱と奇跡の物語が待っています。著者・墓太郎が紡ぐ異世界ファンタジーの続報は、引き続き宵闇書房のnoteでお届けします。ぜひフォローやブックマークをして、次なる展開をお待ちいただければ幸いです。