眠れる魔王が住む山脈――ヴァル=ドレクの伝説
「異世界の街角から」シリーズ、今回は大陸を貫く山脈「ヴァル=ドレクの嶺」に伝わる魔王の伝説をお届けします。魔王を封じたと言われるその山脈に残る異変と伝承が、物語の舞台です。
SS本編:眠る魔王の山脈
大陸の中央を貫く山脈「ヴァル=ドレクの嶺」。そこには古くから「眠る魔王」が住まうとされていた。山の主であるその魔王は、ひとたび目覚めれば怒り狂い、大地を裂き、嵐を呼び、谷を呑み込むという。
ある村の語り部が、酒場の隅でその話を語っていた。
「魔王が眠るのは、昔々の英雄がその怒りを沈めるために、この山の底に封じたからだ。だが、魔王の気まぐれは止められはしない」
「英雄が封じたのに、なんでまた怒るんだ?」
若い冒険者が尋ねる。
そう言われることがわかっていたように、語り部は低く笑った。
「英雄がどれだけの力を持とうと、魔王を完全に制することなどできやしない。魔王はただ……気まぐれに目を覚まし、また眠るだけさ」
話を聞いた人々は互いに顔を見合わせる。魔王の存在が本当なのか、それとも大げさな昔話なのか。だが、山で起こる不可解な現象――突如として吹き荒れる嵐、谷間を呑み込む濁流――それらを見た者たちは、誰も笑い飛ばすことができなかった。
話は約一年前に遡る。
山を越える旅
聳え立つ山脈を越えようとする一団がいた。目的は、新たに西の国との交易路を切り開くこと。先導するのは案内人バロウと薬師のエステラだ。
「準備を怠るな。ここは山そのものが敵だと思え」
そう語るバロウの声に、一同が緊張する。
西へ向かうルートは一度北が南へ抜け、大陸を往復するほどの距離を歩くか、遙か昔に途切れた道を行くか。逃げるか、真っ向から挑むかの二択である。
魔王の気まぐれ
山に入った初日。冷たい風が吹き、霧が一面に広がる。鳥のさえずりが途絶え、辺りには静寂が広がっていた。
「変だな……」
バロウが立ち止まり、耳を澄ませる。チリチリと地面がわずかに震えた気がした。
「魔王が……気まぐれを起こし始めたのか?」
エステラが小声で言う。
地鳴りは小さいながらも不気味で、足元の土がわずかに揺れる。風が急に強まり、霧が渦を巻くように流れた。
「気を引き締めろ。ここから先、何が起きても不思議じゃないぞ」
バロウが隊を促し、進み始める。
夜の試練
その夜、一行は山中の小さな洞窟で野営をした。焚き火がぱちぱちと燃える中、誰もが落ち着かない表情を浮かべていた。突然、洞窟の奥から冷たい風が吹き抜け、火が揺れる。
「なんだ……?」
誰かが呟いた。
風が止むと、今度は遠くから地鳴りのような音が聞こえてきた。それは低く、深い山の底から響いているようだった。
「……魔王が息をしているようだな」
バロウの言葉に、一同の顔が青ざめる。
その晩は、これ以上の異常は起きなかった。ただ、誰もが眠れない夜を過ごし、朝を迎えた。
怒り
翌日、空模様が急に変わり、黒い雲が山を覆った。冷たい雨が降り出し、風が唸りを上げる。谷間から轟音が響き渡る中、バロウが叫んだ。
「急げ! 崖が崩れるぞ!」
一行は全力で走り、足元を流れる濁流を避けながら進んだ。雨に濡れた崖が次々と崩れ落ち、進む道が次第に狭くなっていく。
「これが……あの伝説の怒りなのか」
息を切らせながら、エステラが呟いた。
「伝説かどうかなんて、どうでもいい!」
バロウが振り返り、一同を急かす。
「ここで足を止めたら、本当に命を失うぞ!」
山を越えて
ようやく嵐が静まり、隊は小さな平地にたどり着いた。雨上がりの空には、わずかに月が顔を覗かせていた。
「魔王はまた眠りについたか……」
エステラが呟く。
「いや、ただ気まぐれを終えただけさ」
バロウはそう言い、山の頂を指差す。
彼らは再び歩き始めた。魔王の気まぐれが次に訪れる前に、山を越えねばならないのだ。
後書き
「眠れる魔王」として恐れられるヴァル=ドレクの嶺。その伝説は、単なる迷信ではなく、山という巨大な存在が持つ力そのものを象徴しています。山を越える者たちにとって、それは常に試練であり、挑戦でもあります。
この記事は、「異世界の街角から」シリーズの一環としてお届けしました。この山を巡るさらなる物語は、また次回。どうぞお楽しみに。
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「異世界の街角から」シリーズとは
宵闇書房公式noteで毎日連載中の短編シリーズ。「異世界の日常」を切り取った物語を通じて、広大な世界観とキャラクターたちの人生をお楽しみいただけます。
最新作情報:
「戦場に生きる傭兵と祈りを捧げる男」シリーズ
2025年8月10日発売予定。異世界の街角で広がる壮大なストーリーの中核を担います。
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