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時間の配達人

異世界で紡がれる数々の物語。その中に、過ぎ去った時の残滓を抱えながら生きる人々がいます。今回お届けするのは、そんな「郵便配達人」の物語。
誰もが忘れた古い依頼とともに、世界を変えるかもしれない一通の手紙を届ける物語をご紹介します。

この話は、墓太郎の新作シリーズ『戦場に生きる傭兵と祈りを捧げる男』の世界観と響き合う短編として書かれました。本編と直接関わりはないものの、異世界の日常を垣間見るようなエピソードとしてお楽しみください。






 薄曇りの空の下、風に乗って漂う冷気が郵便配達人アリオンの頬を切るように刺していた。彼は馬車に積んだ郵袋を抱えながら、古びた郵便局の扉を押し開けた。
    その局舎は年季の入った木造で、壁には郵便規約の古ぼけた掲示が貼られている。すでに使われなくなった設備がほこりをかぶっている光景は、過ぎ去った時代の遺物そのものだった。

 アリオンが立ち寄ったのは、山間の小さな村に佇む忘れ去られた郵便局だった。彼の任務は、この局で未整理の郵便物を確認し、必要に応じて配達を完了させること。
    だが、扉を開けた瞬間、鼻腔に入り込む冷たい空気と、棚に山積みになった古びた手紙や包みは、彼に不思議な感覚を覚えさせた。

「なんだここ……まるで時が止まってるみたいだ」

 アリオンは一番手前の棚から古い封筒を手に取った。茶色く変色した封筒には、今では見かけない王国の古い紋章が押されていた。筆跡はすでにかすれているが、宛先は「カイザール王国・北の氷湖にて眠る賢者リューリス」と記されている。

 封筒を手にした瞬間、アリオンは悪寒のようなしかしそれとはちがう何かを感じた。封を開けてはいけないという郵便配達人の誓いを守りつつも、ただの手紙ではないことを確信した。

「賢者リューリス……聞いたこともない名だな」

 彼は手紙の束をさらに探ると、同じような宛先の手紙が数通、さらには「氷の封印が解けるその時まで、この手紙を配達せよ」と赤い蝋で封印された指令書を見つけた。それには日付が記されていた。
300年前の、旧い時代のものであった。

「おいおい、さすがに冗談だろ」

 アリオンは目を凝らしたが、日付や書式は確かに本物のようだった。古い地図を広げ、北の氷湖の位置を確認すると、そこは厳しい寒冷地で人が住むには適さない地域だと分かった。凍えるような風景が頭をよぎる。

 だが、アリオンは配達人としての矜持にかけてその依頼を放棄することはできなかった。

 手紙を胸元にしまい込み、彼は北へ向かった。険しい山道を越え、凍てつく風を浴びながら何日も旅を続ける中で、彼は次第に不安に駆られていった。もし、賢者リューリスがすでに亡くなっていたら? もし、この手紙がただの徒労に終わるのだとしたら?

 その答えは氷湖で明らかになった。湖は見渡す限り凍りつき、澄み切った氷面に月光が反射している。その中央には奇妙な氷柱がそびえ立ち、人の形を模しているように見えた。

「まさか……あれが賢者?」

 アリオンは馬車を降り、慎重に氷柱へと近づいた。氷の中には確かに人の姿があった。長い髭をたたえ、ローブをまとったその姿は、まさに伝承に出てくる賢者そのものだった。アリオンは手紙を取り出し、氷柱の前にひざまずいた。
 
「カイザール王国の郵便配達人、アリオンです。賢者リューリス殿、あなた宛ての手紙をお届けに参りました」

 その瞬間、凍った空気が震えた。手紙から青白い光が放たれ、氷柱に吸い込まれていく。次の瞬間、氷柱が砕け散り、中から人影が現れた。それは眠りから目覚めたばかりの賢者リューリスだった。

「……長かった。ようやく、この時が来たのか」

 リューリスの声は深く、疲れたようでいて、どこか満ち足りた響きを帯びていた。彼はアリオンをじっと見つめ、微かに微笑んだ。

「300年も前の依頼を果たすとは、お前のような配達人がまだいるとはな」

 アリオンは驚きながらも、配達人としての誇りを胸に言葉を返した。

「どれだけ時が経とうとも、依頼は依頼です。これが私の仕事ですから」

 リューリスは手紙を静かに受け取り、丁寧に封を切った。その中身を読むと、深く息をつき、顔に複雑な感情を浮かべた。

「……この手紙は、今日この日、私の封印を解かせるための鍵だった。だが、同時に新たな災厄を呼び起こすものでもある」

 アリオンは困惑した表情で賢者を見た。だが、リューリスは微笑みを浮かべ、手紙を懐にしまい込んだ。

「心配するな。お前の役目はここで終わりだ。世界はまた動き出し、歴史を紡ぐだろう」

 賢者リューリスは、その後何も語らなかった。アリオンは馬車に戻り、振り返ると、氷湖の中央に立つリューリスの姿が小さく見えた。彼は何かを唱え始めているようだったが、風の音にかき消されて聞き取れなかった。

 アリオンは馬車を走らせながら、胸の中で何かがざわつくのを感じていた。果たして、この配達は本当に良かったのだろうか?

 それでも彼は前を向いた。郵便配達人には、次の配達が待っているのだから。




300年の時を越えて配達された一通の手紙。その背後に潜む人智を超えた存在や運命の波は、どこか『戦場に生きる傭兵と祈りを捧げる男』の物語とも通じるものがあります。本編でも、異世界の不条理や美しさが描かれる予定です。

今回の物語に登場する郵便配達人アリオンのように、忘れられた約束や使命を背負うキャラクターは、多くの読者にとって心に残る存在となるでしょう。この短編をきっかけに、本編の壮大な物語にもぜひ触れてみてください。




『戦場に生きる傭兵と祈りを捧げる男』発売情報

第1巻発売日:2025年8月10日

価格:未定

本作は、大震災をテーマに現実とリンクするような深みを持ちながらも、ファンタジーとしての冒険と感動を描きます。震災で失った友人との約束を胸に、作者が紡いだ魂の物語。キャラクターデザインには東北地方出身のイラストレーターを起用。2巻完結の本編と過去編の1巻を含む三部作として構成されています。


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