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12月10日【 Planning&Intervention02】

こんにちは。

先日12月10日に行われたワークショップについて
お話しさせていただきます。

前回に引き続き、場所は基町中層アパートの内部にあるUnité。参加者は8名程集まりました。
そのほとんどが継続の方でしたが、2名ほど新しく参加されました。

本ワークショップでは毎回講師の方をお呼びしているのですが、第一回目に引き続いて建築士の齋藤慶和さんと、新たに施工者の中原佑介さんをお招きしました。

齋藤慶和さんプロフィール
https://stmove.com/profile

中原佑介さんプロフィール

冒頭に前回参加者のみなさんが出した案(基町アパートで何がやりたいか、どんなことができるか)の振り返りを行い、それに伴ってどんなモバイルハウスが作れるか、これからどう形にしていくかという流れだったのですが。

新しい参加者の方から「なぜモバイルハウスなのか」「地域の活性化に軸を置いているのか、作ることに重きを置いているのかわからない」などの指摘をもらい、こちらとしても説明不足だったことを痛感しました。

モバイルハウスのワードとしての初出は運営側と齋藤さんの議論の中で、そもそも参加者から出た言葉ではなかったので唐突に感じられたかもしれません(初参加なら尚更)。
ふとこういった疑問が起こったときに、立ち返って見返せるような指標が一つあるといいかもしれません。

モバイルハウスに至った経緯は少々複雑なので割愛させていただきますが、こちらの意図としては都市に介入するためには”装置"が必要で、その装置とは空間作りに適したツールが詰め込まれた移動式のボックスで、今回はそのボックスを(講師の方をお招きして)作ろうと考えているわけです。
どうも、”ハウス(家)"という言葉が引っかかっているのではないか?ということになり、今後はこの言葉の使用を控えていくことになりそうです。

-どうして基町なのか、主語はどこなのか、そもそも未活性とは?....-

「こういった議論も重要なものですが、なにぶん時間が限られているのでどこか大事な部分がすっ飛んでしまうのは仕方のないこと。だけど今回は設計者と施工者がいるから(技術面の充実)そのノウハウを学ぶことに比重をおいても良いのではないでしょうか。」と齋藤さん。

とりあえず介入していく地域の"問題”として基町アパートの地下にある倉庫(という名のゴミ置き場)を設定し、リサーチしに行くことに。

道中、移動式ツールボックス(=モバイルハウス)の導線を想像して中原さんがメジャーで色んなところを計測されていました。

スマートに計測する中原さん


そして地下倉庫に到着。あまりの規模と量に驚きの声が度々上がりました。

地下倉庫の様子
大きな米看板


地下を探検してからは具体的なイメージがポロポロと湧き始め、ボックスの中にどんなものを詰めるか、外側は神輿のみたいにするのはどうだろうと議論が大盛り上がり。

また、中原さんにご自身の活動を紹介していただき、より実践的な地域介入のノウハウを学びました。

その後も案出しを重ね、最終的な形をイメージするところまで辿り着きました。 

次週は具体的な中身としてどこでも会場や展示ブースになるような壁を制作したり、場合によっては天井やステージが必要となるかもしれません。
一週間経ってどんなアイデアがまた出てくるか楽しみです。



-板井さんの呟き-

「御神輿のように担ぎたいですね」のサネヒサさんの意見から、個人的に盛り上がりました。
基町の地下倉庫に眠る祭りの痕跡をたどり、都市の未活性空間の問題着目したとても良い案だとおもいました。そして地下倉庫に保管されてしまうモバイルハウス、とても面白いストーリーになりそうです。

都市の空洞化に着目しているさまざまな分野の人たちが未活性に向き合う一種の「運動」のような形で連携をしあうような取り組みになればという齋藤さんの意見がとても面白いとおもいました。

「メタボリズム」のような動きになればという話でしたね。

メタボリズムとは生活習慣病、メタボリック症候群と同じ「新陳代謝」を意味する生物学用語。
1960年、戦後の復興期が終わり、高度経済成長の時期へ向かった時代に、日本から発信された建築運動。
社会や環境の変化に合わせて、建築や都市も新陳代謝をしながら変化していくべきだとの理念に基づき、この名が付けられました。基町高層アパートの建築家大高正人はメタボリズムグループを結成した一人なのでその点においても面白い流れだと思っています。

余談ですが、軍都広島と軍港の呉という歴史があります。齋藤さん中原さんが呉と基町との行き来は歴史を辿ると面白い要素の一つだと感じています。『この世界の片隅に(こうの史代著)』でも広島と呉の間柄は濃く描かれていましたが、呉に住んでた方が戦後仕事を求めて基町に住んでいたこと、今でも呉出身だった方の話を基町で聞くことはあります。

広島と呉をつなぐ齋藤さんや中原さんのような建築の仕事に携わっている方が、建て壊しが決定した基町アパート17号棟を拠点として未活性空間に優しく介入していく活動をしているということ、まだ言葉になりきれていませんが、なんだかすごいおもしろい瞬間に立ち会っている気がしています。


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