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朝倉未来と、もう一人の怪物
前回、私は格闘家・朝倉未来について、彼が持つカリスマ性、現代格闘技における彼の位置づけ的なものを稚拙ながらも考察してみた。
そんな朝倉未来は昨年11月、「FIGHT CLUB」という競技も違えばアウェイでもある戦いで、「FIGHT CLUB」を主宰したYA‐MANに敗れてしまった。それもわずか77秒で2度のダウンを奪われるという衝撃的なTKO負けであった。
試合後、朝倉未来は自身のYoutubeで初めて涙を見せることになり、今後の行く末が案じられることとなった。
この敗戦は、朝倉未来ファンならずとも多くのRIZINファンに衝撃を与える結果となった。YA-MANはキックボクシングで、飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を見せる選手であったものの、これからが期待されるスター候補選手の一人であり、那須川天心や武尊的な位置づけとは正直言えない。朝倉未来にとっても一緒に練習していた後輩のようなものであり、後輩が主宰する興行を盛り上げてやろうという一心で安易に引き受けた試合だったと思われる。
いってしまえば、朝倉未来にとっても格闘技ファンにとっても、YA-MANは明らかに「格下」になるわけで、いくらキックボクシングルールとはいえ、RIZINのトップ戦線を張っていた格上の「大スター」朝倉未来が負けるわけがない、と思っていたものがほとんどではなかっただろうか。
(朝倉未来自身もそのことを記者会見で言及している)
ファンはこのマッチメイクを、エキビションマッチ的な受け止め方をしていただろう。ABEMAが突貫的に企画した「賑やかし」的なコンテンツであり、”真”の競技性をはかるものではない、と高を括っている部分があったのではないか。それゆえに、突き付けられた現実との落差が激しすぎるあまり、「衝撃的」なものを見ることになってしまったのである。
これはある種「事故」のようなものとして受け止められた。このことに最も憤慨していた男こそが、7月28日(日)の『超RIZIN3』で朝倉未来と対戦することが決まった、平本蓮である。
朝倉未来の敗戦を、当日の試合会場で直撃してしまった平本蓮は怒りの言葉とともに会場を後にした。その言葉の節々には、ショックを通り越して悲しみのようなものが垣間見えた。それもそのはずで、朝倉未来をマットに沈める人間は自分でなければならなかったという思いが平本蓮にはあったと思われるからである。このことは、格闘王・前田日明も指摘していた。朝倉未来がリングに沈む時が来るとすれば、平本蓮あたりとやったらそうなってしまう可能性があると示唆していた。しかしYA-MANが先を越してしまったのである。
この朝倉未来の敗戦は、平本蓮にとって相当の誤算であったはずである。これまで大事に築いてきたはずの、自身の格闘技ストーリーのシナリオが、ぽっと出の企画、まさかの朝倉未来敗戦によってご破算にされてしまったからである。そのシナリオとは、RIZINが作った最強幻想である朝倉未来という存在に対し、その幻想を打ち破るのは、平本蓮という次世代格闘技を担う新たなカリスマであるべきというシナリオだ。
したがって、平本蓮にとっても朝倉未来は強いままの存在でなければならなかった。クレベルやケラモフに負けたことで朝倉未来に対するファンの幻想は揺らぎはじめていたのは間違いないが、それでも随一のカリスマ性は健在であったため、同じ日本人である自分が最後のとどめをさし、その幻想を粉々に打ち砕くというのがミッションであることを、彼は「天才的」によくわかっていた。
ファンが望むストーリーラインは何か、興行においてニーズがある対戦は何か、この嗅覚の凄さにおいて平本蓮は極めて特殊なほどに「天才的」である。残念ながら、格闘技界のトップファイターのほとんどは、この嗅覚=センスを持ち合わせていない。それは格闘技そのものの「強さ」という原理的なものとは違う部分での嗅覚であり、それこそが、前回の記事でも述べたような「プロレス」的なセンスである。プロレスというワードに違和感を持たれてしまうようであれば、「エンターテインメント性」あるいは「プロフェッショナル」と置き換えてもよい。
いずれにしても、このセンス無しに興行を成立させるためのマネーは生まれてこない。朝倉未来が口をすっぱくして言っているように、客の呼べない選手はプロとは言えないのである。もちろん、原理主義的に強さだけを示し続け、客を呼ぶという選手もいる。ボクシングにおける井上尚弥などはその最たる例だろう。だが、残念ながらボクシングのメジャー性に対し、RIZINの総合格闘技やキックボクシングは未だにマイナーなジャンルである。このマイナーであることに危機感を覚え、それを底上げしようと試みている朝倉未来や平本蓮、あるいは那須川天心などもそうだろう、は明らかに他の格闘家と意識レベルで異なるものを持っているのだ。
しかし、それ以前に平本蓮にとっての最大の誤算は、斎藤裕戦での敗北であった。キックボクシングからの転向後、RIZINデビューしたものの敗戦続きだった平本蓮は、弥益ドミネーター聡志戦にて圧倒的な勝利を見せることで、彼自身の幻想をファンに植え付けた。そして、一気に階段をかけ上り、斎藤戦まで持っていくことになる。
それこそ、フェザー級の前チャンピオンでもあった斎藤裕に勝つようなことがあれば、その幻想は一気に膨れあがることになる。その膨れ上がった状態で、朝倉未来と戦いたかったはずである。いや、彼自身のシナリオにおいては、戦うべきだったのである。
斎藤裕に敗れてからというものの、平本蓮からかつて豪語していたような「UFCでチャンピオンになる」という勢いが失われたように思われる。ストーリーを練り直す必要に迫られたのだろう。
だが、平本蓮の天才性は、この朝倉未来とYA-MAN戦後に発揮されることになる。かつては激しい舌戦を繰り返していたはずの朝倉未来に対し、実は自分にとっては憧れの存在であり、それゆえに超えるべき存在であった偉大なる格闘技界の開拓者と見立て、一気にRIZINファンを自分のもとへと求心することとなった。これによって、「同志」朝倉未来の敵討ちという構図がまたたくまに作り上げられ、YA-MANを倒すことを宣言することにより、新たなシナリオが加えられることになる。RIZINがすぐにこれに反応し、朝倉未来敗北というストーリーから派生した新たなストーリー、平本蓮とYA-MANという一騎打ちが、大晦日という最高の舞台で整えられた。
平本蓮はこのYA-MAN戦に見事に勝利し、「Road to 朝倉未来」というシナリオの軌道修正に成功した。これにより、再び朝倉未来と平本蓮の対決が浮上し、YA-MAN戦による憔悴から復帰した朝倉未来と、そのYA-MANを打ち破ることで勢いに乗った平本蓮が相まみえることになる。舞台は2024年7月28日(日)にて行われる『超RIZIN3』である。この超シリーズは、かつてかのフロイド・メイウェザー・ジュニアと朝倉未来のボクシングマッチが行われた、お祭り要素の強い特別興行である。
歴史にifはないが、もし朝倉未来がYA-MANに負けていなければ、あるいは平本蓮も斎藤裕に負けていなければ、この戦いは、混沌極まるフェザー級戦線における一連の戦いとして、ナンバーシリーズに位置付けられていたことだろう。だが、正直なところ、朝倉未来も平本蓮も、このフェザー級トップ戦線からやや後退したところがあり、タイミング的にも微妙なところが若干ある。二人の戦いの位置づけは違う意味を持たせる必要があるだろう。
平本蓮自身がいみじくも記者会見で自身のこの戦いを揶揄していたように、今の二人の対決は「無冠同士の戦い」になってしまうのだ。
それでも、この二人は、やはり戦わなければならないのだ。朝倉未来が「無意識的」に格闘技界に出てきたかつての「怪物」であるとすれば、平本蓮はその怪物性を自ら作ることを意識した現代の「怪物」である。その新旧怪物対決という構図が、この二人の戦いである、と私はみている。
4月29日(月)のナンバーシリーズ『RIZIN46』では、現在のフェザー級頂上対決である、チャンピオン鈴木千裕と金原正徳のタイトルマッチが予定されている。この戦いが、今のRIZINという「競技」における現実主義的なリアル頂上決戦であるならば、朝倉未来と平本蓮の戦いは「物語」というメタファーを必要とする「形而上学」、すなわち「超現実」における頂上決戦なのだ。その意味で、この二人の戦いはRIZINのナンバーシリーズにラインナップすることはできない。「超」RIZINという特別な興行でなければならなかったのである。
ファンはこの二人の対決に「勝敗」を求めないだろう。求める人もいるかもしれないが、それを超えたところに、この二人の戦いを見る価値がある。
二人にとっては本望ではないかもしれないが、これこそ戦いにおける「超現実」を体現するプロレス、それもかつてアントニオ猪木や前田日明が到達していたプロレスの、令和における再現であり、格闘技ファンでもありかつてのプロレスファンでもあった私の喜びである。
だが、願わくば、朝倉未来が勝利することの方が、今後のRIZINのためにもよさそうな気はする。朝倉未来がここでの勝利により、かつての闘志を取り戻し、今のフェザー級トップ戦線に再び絡むようなことがあれば、これこそ朝倉未来の第二章の始まりという気がするのだ。
かつて朝倉未来がギラギラに輝いていた頃、カルシャガ・ダウトベックやルイス・グスタボ戦などは、今見てもたまらないものがある。この頃の朝倉未来は戦いのスタイルもカウンター狙いだけでなく自分から仕掛けるというアグレッシブさもあり、攻撃の一つ一つに狂気のようなものさえ宿っていた。やはり、この頃の朝倉未来にこそゾクゾクするのであり、ファンとしては勝ち続ける朝倉未来にこそ真の興奮を覚えることだろう。
朝倉未来の涙は、もう見たくないのだ。同時に平本蓮の悲しみも見たくない。という矛盾を抱えたまま、二人の試合を見ることになるだろう。
了