JR東海も,安全第一ではない
前置き
鉄オタなら,みんな大好きJR東海。(黙って聞いてください)
JR西日本のあの失態を見ていると,JR東海は,あの日(最強寒波到来の1月24日)遅れながらも天下の大動脈である東海道新幹線を動かしていました。
その一方で,山陽新幹線は相生駅でポイントが不転換になるなどの,影響が出てきており,JR西はこんなところでもやらかしていたのかという風に思いました。
JR東海は慢性的な雪害と米原駅周辺で戦っており,減速してでも新幹線は動かすという決意のもと,スプリンクラーやラッセル車。最新のカメラ技術を用いた解析や,大阪・名古屋駅での雪を落とす作業の導入などの取り組みによって,対策を行っています。
(東海道新幹線における雪害対策の取り組みについて (jr-central.co.jp))
当日,JR西日本で問題になった融雪機が動いていたのかは不明ですが,集中管理ができる床版ヒーターで直接温める方式電気融雪機を導入しており,その日稼働していたかは明らかになっていませんが,同じ大阪京都間を走る鉄道で,ここまで運行に差が出たということはおそらくは融雪機が稼働していたのではないでしょうか(知らんけど)
やはり,関ヶ原で雪と戦い抜いてきた彼らの経験は半端なものではないでしょう。(東海道新幹線が「大雪」でも運休しない舞台裏 | 新幹線 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net))
特に5兆円を超える国鉄債務を東海道新幹線の莫大な利益で返済していくことが求められた彼らにとってみれば,「新幹線は安全」というブランドイメージがないと債務超過してしまうという危機感があり,彼らは新幹線利用客からいかに嫌われないかを主軸にしています。
だからこそ常に新幹線を動かし続けなければならず,常にカラーをまとった車両がすべて同じ座席で到着することこそを守り,安全への投資は怠らないのです。
しかし,そんなマインドが招いてしまった,JR東海が雪ではなくて,雨に負けてしまった事件がありました。
今回はそんな事件をご紹介しましょう。
新幹線最遅延記録を出した東海豪雨
世界的にも定時制の高いことで有名な新幹線
東海道新幹線の平均遅延時分は30秒を割っていえう現状にあります。
日本の鉄道の技術と努力の結晶とも言えるでしょう。JR東海のプライドの表れかもしれません。
2000年、9月11日秋雨前線に台風14号による暖かく、湿った空気が流れ込んで、急速に前線が発達し、名古屋市周辺で甚大な被害をもたらした豪雨、通称東海豪雨が起こります。
11日の昼頃まではダイヤ通りで運転が行っていたものの、その頃には、名古屋市内の一部の河川において、警戒水位機を超えていた。
その後の会見で明らかになったように、名古屋地方気象台発表の予報が、ここまでの豪雨を予想していなかったことと
「いずれ止むだろう」という期待を含んだ見通し、更に「遅れを最小限にとどめたい」「新幹線を止めるわけにいかない」
というJR東海の圧倒的なプライドと言いますか、使命感がそうたのか、次々と列車を発車させていきます。
ご想像のとおり、東京米原間において新幹線70本ががどん詰まりとなり、停止と徐行を繰り返す始末。当時の体験談を見つけましたので貼り付けておきます。
一部は駅前のホテルなどに避難できたものの、5万人以上の人が列車の中で閉じ込められて、夜を明かすというJR西日本の大雪の比ではないミスを起こしました。
http://teamkokudo.org/genba/saigai/tokaigouu/tokaigouu-1.htm
天候が回復した翌日もダイヤの乱れは続き、当時の「のぞみ20号」(博多発東京行き)は、22時間21分遅れで終点の東京駅に到着するという、開業以来最悪の遅延を記録しました。
しかし、流石はJR東海。
世間から猛バッシングを食らっても、運輸省から怒られても、当時の葛西社長が
「あれは未曾有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった」とまで言い切り、
「多くの乗客にご迷惑をおかけしました」と陳謝する事態に発展している。
ここもJR西日本は違うところですよね。
これ以降、山陽新幹線直通列車の遅れ発生時の直通中止などの対策が取られるようになったり、豪雨対策が施されるようになりここまで、酷い事態が、東海道新幹線においてはこのこと以降で起こっていません
JR西日本にもそうなって欲しいものですよね
鉄道の進化と安全というものの、裏側を皆さんにお見せできたところで、終わりにしようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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