やっぱりお祭りがすき。
藤井風さんの『まつり』という曲を最近突然見つけてハマっています。リリースされたのは3月、だから5ヶ月くらい経ってしまっているのですが、夏に聴いても良いですね、これ。
なんとなく聴いていて、そういえばわたし、お祭りっていう存在がとても好きだったな、ということが思い出されまして。思いを吐き出したい気分になってこの記事を書くことにしました。初めての投稿なので、やさしく見ていただけると幸いです。
祭り
祭り。改めて考えると、何なんだろう?という気がします。調べてみるとこんな風に説明されていました。
わたしの感覚は、ちょっとこの辞書とは隔たりのあるもののような気がします。もちろんこういう思いで臨まれる方もいるのでしょうが、このような宗教的で厳かな感じではなくて、もっと人間らしいような感じ。
雑多でうるさいんだけど、でも楽しいんですよね。着物を着たり、ベビーカステラを食べたりしながら、屋台の並ぶ喧騒を練り歩いて、花火をみたりして。それで、花火が終わったら皆んな糸が切れたように帰りだして、途端に辺りは真っ暗なのに気付く。なんだか切なくなる。みたいな。
祭りに行くと感情がぐちゃぐちゃになるような気がします。そのぐちゃぐちゃなのが決して「きれい」とは言えないんだけど、生きてるっていう感じがする。コロナ禍になってお祭りに遊びにいくようなことがなくなってしまったのですけど、ずっとこの記憶が残ってるんだろうと思います。
祭りの解放感
祭りを練り歩くと、視覚的には開放感なんかないんですけど、なんだか一種の解放感があるような気がします。
藤井風さんのまつりの歌詞にもあるんですけど、
これ。けっこう大事だと思うんですよね。
日常って、誰かと比べられたり、人目を気にしたりする一方で、自分より何か劣っている(と思える)人をみると、なんだか安心してしまう。でも安心しても、それは「かりそめ」なので。未来を通して安心はできないし、楽しくできない。そういう軽微なストレスにずっと晒されているような気がするんです。
でも祭りって、そうじゃないんじゃないかな、というか。比べるとか、そういうのを超えて、ただただ楽しもうよ、という流れがある。あったとしても、そういう泥くさいところも含めて、人間らしさとして昇華してくれる。日常のくるしさから解放される。
こういう理由もあって、やっぱりお祭りが好きだと思いました。はやく気兼ねなくお祭りに行けるようになると良いですね。