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「洗う」ということ②
前回、「洗う」ということについての意味を考え、宗教儀礼の様々な例を書きましたが、そこで私は、強迫性障害のことを思い出しました。
強迫性障害とは、自分の意思に反して、ある考えやイメージが頭に浮かんで離れなくなり(強迫観念)、そこで生まれた不安を払拭するために同じ行動を何度も繰り返してしまうこと(強迫行為)で、日常生活に支障が出てしまう不安障害の一種とのことです。
その強迫行為のひとつに、手洗いや入浴の繰り返しというものがあるそうです。
様々な宗教に「洗う」というこ儀礼があることを考えると、宗教にのめり込み、宗教行為が日常生活に支障をきたすほどになっている状態の、所謂「宗教依存」には、上記のような強迫性障害が関わっている面もあるのではないでしょうか。
依存症と強迫性障害は、どちらも脳の報酬系や衝動制御に関わる神経回路に異常が見られることが報告されてるそうです。特に、ドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質の機能不全が共通して関与していると考えられています。
また、依存症と強迫性障害とは、合併しやすいという疫学的なデータがあるとのことす。
そして、依存症と強迫性障害の治療には、認知行動療法や薬物療法が有効であることが知られており、両疾患に共通する治療アプローチが用いられることもあるそうです。
ただし、依存症と強迫性障害は、それぞれ動機や原因などが異なる、全く別の疾患であり、症状や重症度も個人差が大きいとのことですので、その二つを混同しないよう注意は必要なようです。
強迫性障害では、その強迫観念や強迫行為を引き起こす根底に、強い不安感が潜んでいるそうです。
私自身も施錠やガスの元栓を何度も確認してしまう傾向があるのですが、そこには盗難や火災への不安感があります。
依存症と強迫性障害との関連を考えると、「何か悪いことが起こるのではないか」という強い不安感を持っている人は、もしかしたら宗教依存の警戒も必要なのかもしれません。無論それは可能性が示唆されるということなので、決して断定はできません。
また、宗教は個人の精神的な拠り所となり、心の平安をもたらすものでもあります。
ですから、やはりそこでは自分の心をよく目詰めて、瞑想や様々なリラックス法など、その強い不安感を「洗い流す」工夫なども考えながら、バランスをとることが重要なのでしょう。