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伊曽乃神社(いそのじんじゃ)

こんにちは!
今回は私が行って良かった所を紹介しようと思います。伊曽乃神社は、愛媛県西条市にあります。

ご利益
金運アップ・大願成就・無病息災・家内安全などの金運神社です。

伊曽乃神社は皇祖天照大御神(アマテラスオオミカミ)と国土開発の祖神である武国凝別命(タケクニコリワケノミコト)をお祀りし、御鎮座から長い歴史があります。
御祭神、武国凝別命の子孫は東予一帯に広く栄えて伊曽乃神社の強力な氏人として氏神をささえてきました。
伊曽乃神社は奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬も厚かった神社であります。

神門
狛犬
本殿
木花開耶姫命像
古茂理神社
天満神社
下福古墳の遺石
神輿庫
だんじり
石鎚の神の投げ石
地元の伝説によれば、その昔、伊曽乃の女神と石鎚山の男神が加茂川の畔で出会った。二人は恋仲となり、女神は結婚を迫った。しかし男神は、石鎚山で修行を続けなければならないために結婚はできないと断った。しかも石鎚山上は女人禁制のため、同行は許されない。「修行を終えれば結婚するのでそれまで待ってほしい。山頂から三つの大石を投げるので、真ん中の石が落ちた所に館を造って待つように」と言い残して山へ登った。間もなく、石鎚山から三つの石が飛んできたので、真ん中の石が落ちたところに営まれたのが伊曽乃神社だという。現在、伊曽乃神社の一の鳥居の脇には、石鎚の神の投げ石と伝えられる石が残っている。
子宝 安産 祈願 願い石 叶い石 お守り 
破魔鬼
破魔鬼は、字面のとおり、魔除け、開運厄除等、繁栄をもたらしてくれる福の神なのです。
お正月から始まる年間のお守りとして、床の間・居間・玄関などにおまつります。
朔日御幣

由緒

第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。
命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました。これが当社の創祀であります。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく、淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ、その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました。称徳天皇の御代には神戸十烟を、更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました。これはわが国における神位奉授の始めであります。延喜式内の名神大社であり、その後正一位に極位致しました。崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り、その後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。
昭和15年国幣中社に列格し、昭和57年には浩宮様(今上陛下)も御参拝されました。

伊曽乃神社祭礼

西条まつりで最大規模を誇る伊曽乃神社祭礼は、例年10月15日午前2時頃からの「宮出し」に始まり、10月16日午後6時頃の「宮入り」まで2日間にわたって行われます。
この祭礼は、だんじり・みこし合わせて80台余りの屋台が繰り広げる豪華絢爛なお祭りです。
夜半から夜明けにかけて、百余りの提灯を灯した屋台が練り歩く姿は、幻想的な祭礼絵巻を再現しています。発祥は定かではありませんが江戸年間宝暦11(西暦1761)年頃の文献上に登場する、伝統的な地域の祭りです。

伊曽乃神社例大祭(西条まつり)
夕日に映えてキラキラと耀きたわわに揺れる豊の稲穂を咥えた金色の鳳凰。 河原をうめつくす数万の人々や堤防に勢揃いした『だんじり・みこし』の見守る中、打ち鳴らす太鼓・鐘の音もたからかに加茂の流れの中で水しぶきをあげ勇壮にだんじりと練り合う御神輿(おみこし)の御姿は誠に神々しいきらめきを放ちます。 伊予西条に生まれ育った人はもとより、祭礼のクライマックスを目にされた人々は何がしかの感動の記憶を持たれていることと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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