30年かけてわかったように思う、「ナンパするって行為」の本質みたいなもの(その2)
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3.周囲に人が多数いても「他者の眼なんて存在しない」という、一種の常識麻痺感覚。その瞬間、身にまとえるか否かのところ
例えば、渋谷駅の近くの路上。
人めっちゃいる。
ここでナンパ野郎の目に綺麗な女性が映ったら、ナンパモードに入ることがある。
これを聞いて、
「やっば、恥ずかしすぎ!周りみんな見てんじゃん!」
とか
「ヒソヒソ陰口叩かれる、後ろ指さされるに決まってるのに、それホントどんな罰ゲームですか?!」
という感覚。
→はっきり言おう。正常だ。ごくごくまっとうだ。
でも、ナンパをやる奴らは、モードに入ると他者の眼なんか存在しなくなる。
自分と、綺麗な女性。渋谷の路上には、世界には、この2者しかいなくなる。
これは「持ってやれるかどうか」「修行の結果そうなれるか」
というよりも、
「そういう特性を持って生まれてきたか」の方が大きいかもしれない。
世間的には、呪われし、忌むべき種族というか。
でも次に書くけど、ナンパをやる当人たちというのは、少なくともナンパモードに入っている時間中、(普段はそのルールを理性でよく心得ていたとて、)
ナンパタイムにはその世間的なルールの外へ踏み越えている。
そういう奴らだ。
4.世間のルールを逸脱できちゃう=それより、目の前の綺麗な女性に声かけをすることの方をぼくは選ぶ
これは、タイトルで言い尽くしている感がある。
もう、理由なし。そういう性質なのだ(あるいは、後天的に身につけたのだ)。
ここまでぼくは
「ナンパというこの上なくトチ狂った行為」
であるとか
「世間的には、呪われし、忌むべき」
と書いた。
だけど、これは、あくまでも、他者とか世間の良識ありきの発想で、価値観。
「あなた以外の全員が、時間の(動きの)止まった世界」を想像してほしい。
ムカつく奴の顔に落書きをしようが、スカートめくりをしようが、何か非難する人も、非難の眼差しを向けてくる人も、不在の世界だ。
ナンパをする男たちが各自で生きているのも、世間の止まった世界だ。
って、そうは言いつつも……
5.同時に、周到に周りを見て、声かけするかどうか決めている
多くのナンパ野郎どもは、きっとそうだと思う。冷静に周囲を見ているはず。
ここまで、「とにかく周囲見ないで俺イズムできるか」を語ってきたけど、その対局のような繊細さ、氷のようなマインドも同時に必要って話。
社会人だったり、学生だったりすると、自分の属性のメイン所属の場の人に、
街でナンパしている自分が見られるのはやっぱりマズイじゃないですか。
実は離れて歩く彼氏がいちゃうとか、友達がいちゃうとかも「基本のサイアクシチュエーション」だから、まずは、観察から入る。
ちょっと人通りの少ない場所で声かけるとかも大事。
あとは、自分の知り合いらしき人がいないかも超重要だ。
最低線、職場の人とか、同じクラスの人がいないことを確認。
ってまーそうは言っても、遠くで誰が見ているかなんてわからないわけだ。
そこは、「やっちゃうクレイジーさ」を駆動させるんだけどね。最終的には。
どんな時に、ナンパが成功するのか(条件や法則めいたものは存在するのか)?〜前編〜
1. 絶対はない(当たり前ですが)。けど、傾向みたいなものはある
当たり前だけど、絶対は存在しない。
あんなら、ぼくが知りたいわ笑
逆に、成功に「絶対の法則アリ」なんて書ける奴、いたらヤバいですよね。
(うさんくさーいビジネス書の、謎の断言力みたいでゾワっとする、個人的には)
基本は失敗ばかり。数打ちまくってきた。悲惨なもんです。コスパタイパの対極。
ガンシカ(完全にシカトして足早に去られる)なんてまだマシ。
冷静に言えば、大迷惑行為。
今更ながら
「声かけで迷惑をかけた皆さん、ごめんなさい本当に……」
と謝罪したくなる。
僕の個人的な経験論でよければ、という前提付きだが、
ナンパで「話に乗ってくれる女性」、
「お茶に誘って一緒に歩いてきてくれる女性」
には、なんだろうな、傾向というか共通項的なのが、あったように思える。
次の記事(その3)では、
「それって、どんな女性だったか?」
を書いていきたいと思う。
(↓後半一部が有料記事です。無料部分だけでも是非。)