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古い小さなアパート「必要の部屋」で 1

はるか昔、私が国立高専に通い、学生時代の後半3年を過ごした部屋は、避難所的に使われてしまうことがありました。誰でも受け入れるわけにはいかないにしても、深刻な状況を感じたときには、受け入れることがありました。

5年間は、ほんとうに長い。
一学年一年を積み重ねていくだけのことと言ってしまえば、そうなのだけど、進級するのにはかなりの重圧があります。安定した体調や学習意欲があれば難しいことではないのは当然なのだけど、悩み多き年頃だし、それぞれが親元を離れていることが多い。学寮に5年間いる学生はそれほど多くなく、アルバイトをしたり、校外での活動をするなどが加わってくると、気持ちが学業から少し離れてしまったりすることも多くて、気が付くと進級が厳しい状況に追い込まれてしまったりします。成績が及ばなければ、容赦なく留年を申し渡されます。退学する学生も少なくありませんでした。そんな学校でした。

私の入った学科は卒業研究に手間暇がかかることが多く、四年後期からそれぞれが研究室に分かれて卒業研究が始まります。一年生のときから気になっていた研究室。ちょくちょく遊びに行っていましたから、当然のようにその研究室に入りました。担当教官は「とある科植物の有効成分」をテーマに研究していました。その流れで、研究室では植物の成分を抽出して研究する、有効成分を合成して取り出すのどちらかをテーマにします。私は植物の成分を取り出す方を選び、もう一人の萩田君は合成を選びました。私が貰った植物成分は諸事情のため「残渣」で、先輩方が研究したお残りでした。少なかった.…一方、合成をした萩田君は大量の合成物に手を焼く羽目になりました。どっちも辛い!最終学年の夏、指導担当教官がミニバイクでこけて左膝を骨折して長く入院してしまいました。

研究室付きの技官青山さんが時々先生の入院先まで連れて行ってくれて、お見舞いではなく、指導を頂くのでした。

その時、同じ学科一学年下の谷地君が先生のお向かいの部屋に入院していました。オートバイで走っているときに猫が飛び出し、猫を避けて転倒。顎を骨折。あらま。この谷地君、研究室付き技官青山さんと同郷なのでした。青山さんは高校卒業後国家公務員になり、高専の技官になりました。最高学年の私たちよりも年下なのでした。微妙な立場でした。研究室では職員として尊敬して接するように指導されました。当然だわ。

この青山さんと顎を骨折した谷地君の関りは、当たり前のように幼なじみでした。なんだか愉快。そんなきっかけがあって、谷地君は「必要の部屋」にちょくちょく遊びにくるようになりました。谷地君はどういう理由か学校から気持ちが離れてしまって、その上、無届けでオートバイを乗り回し事故、入院。入院も二か月以上に及んだので出席日数や課題の遅れでますます悪い状況になっていました。青山さんは「あの阿保!」などと遠慮なく吠えていました。踏ん張らないと進級できないのです。

最終学年になると、下級生たちと試験のスケジュールが違ったりします。もう自分のことで精一杯で、下級生たちのスケジュールなんか気にしていられない状況でした。そんな時に、谷地君が朝っぱらからやってきて「一日、部屋に置いてもらえませんか」と頼んできました。私は登校すれば深夜まで戻らないし、まぁいいかと思って許しました。そんなお願いをするくらいだから何かはあるんだろうけど聞いてあげる暇もない。

後で聞いたら、谷地君は進級にかかわる大事な試験を一日まるっとエスケープしたのでした。..…まずいことに手を貸したかも知れん。やばっ!

その試験の日、学科の教官たちや学寮や青山さんが慌てて谷地君を探したらしいのだけど、見つからず、結局、谷地君は留年が決定してしまいました。

あとから青山さんに詳しいことを聞いた卒研担当教官に呼ばれました。

君の~アパートは~いったいどうなってるんだね?

さ~~どうなってるんでしょう...…
よくわかりませんけど..…
なんだか妙なやつらがポツポツきたりします...…
なんでなんでしょ~~

実は別件で、ラグビー部の下級生に、いろいろ気になることがあって、研究室の窓から学校の前庭を歩いてる子に「サカキーー!飯食いにこーーーい!」と叫んだことがありました。押忍!といい返事があって、そいつと粗末なご飯を食べ、いろんなことを話しました。結局彼は留年したのだけど、卒業まで頑張りました。私と飯を食ったから卒業できたわけじゃないのは確かだけど。お節介を受け入れてもらえたことだけは、確かかな。

私が窓から叫んだ日、卒研担当教官は、あいつと親しいのか?と尋ねてきました。ラグビー部の後輩で、このごろちょっと心配でと言いました。実は、あの学生の親御さんと個人的につながりがあって、よくよく頼まれていると。一緒に飯を食うなら、よく話を聞いてやってくれ。手に負えないと思うなら、打ち明けてくれと頼まれた、そんなことがあったのでした。その時先生が肉でも食えと握らせてくれたお金で、サカキと酔っ払ったのは秘密。先生、ごめんなさい。

あとで谷地君は手製のスピーカーとアンプを持ってきて、一日匿ってくれたお礼にといって、私のラジカセに繋いでくれました。驚くほどクリアで素敵な音がしました。その時、谷地君と話しました。留年して、その先どうするつもりなのか聞くと、谷地君は絶対に学校は辞めないと言いました。そうでないと匿ってくれた私に申し訳ないと言うのです。私のことはどうだって良いのだけど、留年したのち、卒業まで頑張ることができる学生が多くないことは誰でも知っていました。

私もまもなく卒業するし、もしかしたら、私の部屋にいつもやってきてコタツで亀になってる八重垣と谷地君、春から同じクラスになるわけだ。タイプは違う二人だけど、私と(イカレタ上級生ではあるけど)仲が良かったということで、知り合うきっかけになるかもと思い、それぞれに、あいつと話してみてと伝えました。谷地君には技官だけど幼なじみの青山さんもそばにいるのだし、なんとかなるかもとも思いました。でもそれは一瞬の思い付きで、私は私で、卒業前に友だちを失ったりして怒涛の日々を送っていて、谷地君の悩みに正面から向き合ってやれなかったのは事実でした。ごめん。

後で聞いたところによると、八重垣と谷地君は謎なデコボココンビになり、4年生5年生の二年間を謳歌したそうです。良かった。きっと私の悪口で盛り上がったんだろう、チクショウ!

しっかし、そんな、試験を受けないとかそんな暴挙に私の部屋を使うなんて、まったくとんでもない下級生がいたものです。だけど、私の部屋が谷地君の「必要の部屋」だったのかな。良かったとは言い切れない微妙な気持ちだけど、谷地君がちゃんと卒業してくれたから、結果オーライかな。


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