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囲炉裏と煙管と
人並みに波乱に満ちた人生を送った、
父方の祖父母がそろそろ引退を考えた頃に、
私は生まれました。
父が末っ子だったことで、
祖父母の人生設計は、
『この子が成人するまでなんとか頑張り抜こう』というあたりで、
終わっていたようです。
私が生まれた昭和30年代半ばは、
もはや戦後ではなく、高度成長を目前にひかえ、
のどかで平穏な時代ではなかったでしょうか。
祖父母がホッとしたときに、
身近に生まれた赤ん坊の私は、
とても大切にされ、可愛がられました。
私が生まれた翌年、
祖父が亡くなると、祖母の趣味は、
私を可愛がることになってしまいました。
父の実家には父の兄と姉二人がいましたが、
三人に連れ合いはありませんでした。
私を跡継ぎに、という話が何度も話題になりました。
十日以上実家に顔を見せに連れて行かないと、
電報や呼び出し電話(各家に電話なんてなかったのよ)で、
様子を訪ねられたそうです。
バスで20分くらいのところに住んでいましたが、
小学校に上がる前から、毎週、
一人でバスに乗ってお泊まりに行きました。
私が父の実家につくと、
祖母が「おお、来たが、来たが」と云います。
囲炉裏の上座に座っている祖母のそばで、
しばらく過ごします。
夏でも囲炉裏には炭が、入れてあったような気がします。
いつも綺麗に灰がならされていて
新鮮な香りがしていました。
囲炉裏の上は、大きな煙突のような吹き抜けで、
天辺には曇りガラスが張ってありました。
明かり取りでした。
祖母は煙管でタバコを楽しんでいました。
刻みタバコの銘柄が思い出せません。
ピースか桃山だったかも知れません。
たばこ屋におつかいに行った覚えはあります。
時々、煙管の掃除のためのコヨリを
半紙を裂いて作りました。
おめさんは手っこ器用だ
おめさんのコヨリが一番いあんばいだ
そういいながら
学校のことや私の友だちのこと、
母方の親類の近況を尋ねたりします。
祖母のふかす煙管の火が
ぽっと明るくなるのを面白いなと思いながら
祖母のそばで過ごしました。
あの囲炉裏が懐かしいです。