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日常的に「聞こえ」が不安定でして
私の両耳。
生後間もなくから中耳炎を繰り返してきました。
はじめはお乳を与えていた母が
片方のお乳を与えるときに泣くので
この子は耳が痛いのだと気付いたんだそうです。
以来、耳鼻科通いが続きました。
風邪を引くと、そのあとに中耳炎になりました。
そのたびに完治するまで耳鼻科に通いました。
少し疲れると風邪を引き、風邪を引けば中耳炎になる。
そのため学校を休みがちでした。
それが耳鳴りだと知ったのは
12歳になって大きな病院に入院したときでしたが
物心ついたときにはすでに
日常的に複数の大音量の耳鳴りがしていました。
体調が悪い時は授業中の先生の声も良く聞こえていませんでした。
学校を休みがちな上に
周りの人からは気付かれにくい程度の難聴があったわけです。
お友だちの「ちょっと耳をかして!」といいう
ひそひそ声は聞き取ることが出来ませんでした。
もう一度!と言えば嫌がられるし
そもそも内緒話なのだから
わかったふりをしておけばそれで済むことが大半でした。
小学4年のとき、父の実家に滞在中に中耳炎を起こし
父の実家のすぐそばの耳鼻科にお世話になりました。
そのとき、針の長い注射針で
鼓膜の向こうにたまっていた液体を抜かれました。
透明なとろんとした液体でした。
先生は「良く聞こえるようになっただろ?」と笑いましたが
良く聞こえるどころか
世の中は大騒音に満ちていて
表通りに出ると車が通りすぎる音でさえも
ビックリして飛び上がるほどでした。
そのころ三島由紀夫が腹を切り
世の中が騒然としていて
柔らかな繭が破られたように感じました。
聞こえが劇的にかわり
成績がいきなり上がって親も先生もビックリしました。
私はこれまで良く聞こえていなかったことがわかり
自分の聴力の不安定さを意識できるようになりました。
小学校の高学年のときに
右耳が酷く悪くなって手術を繰り返し
なんとか聴力は残すことができましたが
やはり、体調によっては聞こえが不安定でした。
特に右の耳は聞こえが悪くて
腕時計の秒針の音は聞き取れませんでした。
学生の頃も、就職してからも
聞こえの悪さと不安定な聴力が問題でした。
自己紹介のときには
「右の耳が良く聞こえません」と言い添えておくと
周りの人たちが気遣って下さり
なんとか暮らしていました。
30歳くらいのとき、両耳が無茶苦茶悪くなっていて
片方ずつ手術を受けました。
これで両耳の聞こえのバランスが良くなりました。
それでも激しい耳鳴りは続いていて
体調が悪くなると何か月か聞こえが極端に落ちてしまいます。
このころはすでに結婚していて
断続的に続けていたお勤めもやめて
聞こえが多少不自由でもなんとか暮らすようになりました。
亭主が何か言ったのだけど
不安定な聴力で聞き取った音声を
脳内変換して謎めいた言葉が浮かびます。
もう一度お願いしますと言えば
哀しそうでもあり面倒そうでもある
あいまいな表情で、手を振り
いや、いいから、なんでもないと言われます。
もう一度繰り返して言うほどのことではないらしい。
それが哀しく寂しいのでした。
なんだかんだあって、妊娠した時、
厳しい体重管理を要求されました。
増量は2キロまでと宣言されました。
そもそもハイリスクなので頑張るしかないのでしたが
8カ月に入った時に急に2キロ増えてしまって
水分摂取の制限が出ました。
妊娠によって身体の水はけが悪くなった状態。
この時から急に聴力が落ちました。
妊娠性の難聴。耳鼻科的にはよくあることだそうです。
しかし、産科ではそんな話は聞いたこともなく
「耳が聞こえない妊婦」になってしまいました。
先生の声も聞き取れないのですから、ま、しょうがないです。
お産のときは個室を与えられるなど
丁寧に扱って頂きました。
私の出産に備えて、厳冬期の移動を避けるため
二か月以上前から両親が来ました。
聞こえが悪いときは、一人で過ごす方が圧倒的に楽です。
私自身が話すことは相手に聞こえるけれど
相手の話すことを聞き取るのは困難です。
お喋りが楽しめないのに業を煮やした父が
私をメガネ屋さんに連れて行き
補聴器をくれ!と騒いでいました。
メガネ屋さんで補聴器専門に扱っている店長と
筆談を交えて事情を理解してもらい
簡単な聴力検査をした結果、
私の良く聞こえていない音域は
人の話し声の音域と被っていることがわかりました。
こうした場合、本格的な補聴器でなくても
「集音マイク」を身に着けることで
かなりの改善が見込まれるとのことでした。
補聴器に比べたら、かなりの安価。
ヘッダーの画像は
その時に父に買ってもらった集音マイクです。
これを付けると
人の声ばかりか世の中のざわめきもちゃんと聞こえました。
ただ、常にイヤフォンを耳に入れておくのは
痛みが出て、なかなか慣れませんでした。
便利ではあったけど、痛いのは辛いので
必要な時だけ付けるようにしていました。
お産のときは
スタッフの指示が聞こえないのは恐ろしいので
これを付けっぱなしにしていましたが
天井のスピーカーとハウリングを起こして
泣きたくなるような状況でもありました。
それは耳鳴りよりも酷い音でした。
お産が済んで、今度は
赤ん坊のサインを聞き逃すまいと
24時間この集音マイクを使いました。
耳が痛くて泣きそうでしたが
赤ん坊の出す音を聞き取ることのほうが重要でした。
お産のあと何日かして
身体にたまっていた水がいきなり抜けて
(尾籠なことで恐縮ですが大量の排尿がありましてね)
いきなり聴力が復活しました。ありがたや。
妊娠性の難聴は消えましたが
基本的な聞こえの不安定さは相変わらず残っていて
子どもが小学校に上がるくらいまで
この集音マイクにはお世話になりました。
子どもの検診や小児科で
身を乗り出して懸命に医師の言葉を聞き取ろうとしている私に
ヒジョーーーーに不快な言動を浴びせられました。
でも、私は聞き取ることに必死で
不快な言動に対してそれを改めてもらうことが出来ませんでした。
ある時、保健婦に
「あなたはどんな音楽を聴いているの?」と聞かれ
何のことかと思ったら
集音マイクを音楽を聴く機器と間違われているのでした。
あの不快な医師は
この母親は病院にきてまでも
音楽を聴いていやがると
勘違いしたらしいと気付きました。
これに気付くまでに何年もかかりました。
あなたのお声が聴きたくて
これを付けています
不安定な聴力を補うために必要なんです
それだけなんです
もし、あなたが、こんな場面でも
この母親は妊婦は
イヤフォンを外さないのか不審に思ったら、
怒りをあらわにするより前に
一言、聞いて下さい。
何を聞いているのですかと。
どうか、お願いします。