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大蔵省はどこへ行った?
『財務省解体!』というスローガンが目に入って来た。
考えてみると凄いスローガンだ。
僕の認識では、国家は、税金とお役人と法律で成り立っている。
国家の根幹の税金を取り扱うお役所を解体するなんて、国家そのものの解体に等しい。
法律は変わっていく、お役人も変わっていく、しかし、国家が税金を取るという行為は、国家が存在する限り続けられていく。
税金を取ることが国家なのか?税金を使うことが国家なのか?もちろん使うために取るというのが道理だが。
国家とは何なのか?国家はなぜ存在するのか?国家はどうやって形成されたのか?もう50年以上ずっと考えて来た。
戦争と国際政治と歴史、僕の好奇心は他人とかなりズレている、しかし、国家という存在をどう理解するのかという課題は常に根底にある。
僕が生まれて来た時、すでに国家は存在していた、税金もお役人も法律もすでに存在していた。
受け入れるも受け入れないもなく、その環境の中で生きて来た。
しかし、どう考えても、この状況は自然環境ではなく、人為的に作り上げられたシステムのように感じる。
神さんから巫女さんになり、王様になり、天皇になり、武士になり、大臣になり、議員になっても、お役人が税金を取り立て、税金を使っている。
なぜ国家は税金を取るのか?
税金を取り立てて税金を使う人がお役人、お役人はどうやってお役人になるのか?
おそらく、税金を取られるのが嫌な人は多くいただろう、おとなしく税金を払う人などごく少数派だろう、強制的に税を取るためには、それなりの納得させる論理と物理的な強制力が要る。
国内最強の軍事力と、強制統治のための警察力と、周知徹底させるための明文化として法律が必要になる。
おそらく、ごく初期の税金の形は、侵入してくる外敵に対抗して防衛力増強を図るための、住民同士のカンパだったろう。
安全確保のための防衛経費調達、仲間内でのトラブル回避と解決のための余裕資金、土木工事など共同作業のためプール資金、自然災害疫病などの大規模災害に対する対策協力金、長老など部族リーダーを中心に必要に応じて資金が集められたことだろう。
否なら部族から出て行くしかない。
リーダーの能力の程度によって、そのグループ全体能力も決まって行き、リーダーの専門化が起こったことは想像に難くない。
それにつれて、税金の徴収もシステム化され、専門化したに違いない。
リーダーは能力の有無によって変わっても、税金徴収システムそのものはずっと変わらない。
税金を徴収するお役人、税金を各お役所に分配するお役人、このお役人が一番権力を持ち強いだろう。
ちなみに、権威と権力と利権は、税金を徴収する国家によって形成される。
国家対国民の関係が顕在化するか?
注目して行きたい。