ゴミ拾い考
京都の烏丸通と言えば、京都を代表するメインストリートだが、その通りに落ちているゴミが、京都を代表するものであるか、日本を代表するものであるか、はよく知らない。
京都駅から北大路まで、南北に真っ直ぐ走る6kmほどの烏丸通。
その内、四条通から鞍馬口通までの4kmほどを、行きは西側の歩道、帰りは東側の歩道を歩き、道路に落ちているゴミを拾っている。
オフィス街、文化的雰囲気を持つ準オフィス街、御所の横を通る不思議な公園道路、文化教育地域、東西に走る大きな四つの道路によって区切られ様相を変える。
心霊スポットという言葉があるが、この通りは、何か特殊なものを感じさせる。
どう言えば良いのだろう、僕は歩かされている、ゴミを拾わされているような感じがする。
自分の足で歩くことによって、通りに落ちているゴミを拾うことによって、僕はこの通りと会話することができる。
この通りはお喋りで、様々なことを話しかけて来る。
実際に、通りの七つの守護神と挨拶を交わす。
龍、虎、猿、亀、猪、牛、ちんこ石、彼等の存在に気付くまでだいぶ時間がかかったが、彼等は僕が来るのを待っていてくれている。
歩きながら、夜が明け朝を迎える。
木の葉と雑草には、手を出さない、それらは通りの所有物だ。
僕が拾うものは、人間が捨てたか落としたかした、人間由来のゴミだ。
タバコの吸い殻、ティッシュ、缶瓶ペットボトル、紙屑、マスク、、、実に色んな物が落ちている。
もちろんお金もある、お金は目立つところに置く、昔タイ人に教わった、お金を拾うと不幸になると。
僕が一度拾って、それを喜捨する形式を踏む。
酔っ払いが腹の中から戻したものを、鳩や烏がつついている。
確かに犬のウンチはほとんど見ることがなくなった。
某コンビニの前にはタバコの吸い殻が多い、以前店の前に灰皿やベンチを置き喫煙所を気取っていた経緯で、それを廃止しても喫煙者の習慣は止まらない。
自販機の空き缶入れに収まりきらない空き缶が溢れ、適当な所で無造作に捨てる。
中身が残っているのが一番始末に困る。
某ハンバーガー屋、某コーヒー店の紙コップに蓋を付けストローを差し込んだのは、大抵中身が残っていて、泣かされる。
もちろん、ハンバーガーやポテトの包み紙も多い。
タバコの吸い殻とセットで落ちていることが多いところを見ると、路上で団欒を楽しんだのだろう。
今年の夏は雨が少なかった、雨が洗い流してくれるような瑣末なゴミも長い間醜悪な姿を晒す。