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学ぶことは、自分の未来を描くこと。




 2022年、京都芸術大学通信学部に入学してから、もう2年たった。日々、芸術について学んだり、絵を描いたり、芸術漬けの毎日を送っている。

 そして、この夏、最高に苦しかった。課題が終わらないし、周りの人と自分の作品を比べて落ち込むし、将来のことが不安になり、久しぶりに精神が崩壊した。昼夜逆転した布団の中で、ふとこの2年自分は何をやっていたんだろう。なんのために大学に来たんだろう。そんな思いが浮き上がってきた。

 大学に入学して、2年間ただひたすら勉強して、課題をこなして単位をゲットするという日々の繰り返しだった。特に、1年生の頃は、テストを受ける前の日は震えていた。あんなに頑張ってレポート書いて、テスト対策したのにここで落ちたらもう一回やらなきゃいけない。この恐怖があと何年続くんだと絶望した。(単位を何がなんでも取らなきゃいけない恐怖で今のところテストは落としたことはない)

 そして、通信制大学はだいたい孤独との戦いだ。オンラインで同じコースの人と関わったりできるけど、基本1人である。しかも、何月にこのレポートを出して、何月にテストを受けるなど、しっかりと計画しないといけない。自分で自分を管理して、自分で考えて計画することが重要だ。無計画にやっても、卒業は見えてこないから。勉強が嫌いな自分なりになんとか奮闘している。
 

 そんな日々を送っていて、勉強はすごいなって本当に思った。今まで人生が怖くて怖くてしょうがなかった。けど、それは私が全く勉強してこなかったからだってやっと気づいた。
 
 人生は怖くて、謎に満ちている。だからこそ、勉強しなきゃいけない。学歴のためとか、いい人生を送るためより、勉強して悪い大人や恐怖から自分の身を守るために勉強は存在しているんだってやっと気づけた。たぶん、私は今大学で人生を学んでいる。

 私は今まで、何をしても続かないし、続けられない人間だった。確かに、向き不向きがあるから、続けられないことだってある。けれど、何かを真剣に取り組んだことがなかった。

 だけど、大学に来て、否が応でもレポートを書かいたり、何かを描いたりしなきゃいけない状況のおかげで、自分の弱さとか人生に向き合えるようになった。

 大学生にならなかったら、きっと今も自分がどこにいるのかわからない迷子になって、堕落しながら人生を過ごしていたんだろうな。 

 もっと早くに勉強してればとか、早く大学に入っていればとか後悔はあるけれど、もしかしたらその時はタイミングが違ってたかもしれない。それよりも、無駄に過ごした時間が恋しいし、これから時間を大切にしようってそう思えた。
  
 それに、勉強したり、課題を作ったりしてるうちに気がついたら挑戦することが怖くなくなっていた。以前なら、失敗することが怖く、私は何もできないんだって思い込んでいた。

 けど、挑戦は課題と一緒だって気づいた。怖がって提出しなければ、いつまでも単位はもらえない。不合格でもそこから学ぶことだってたくさんある。はとりあえず、挑戦しなければなにも貰えない。

 私は今挑戦しているんだなってやっと気づいた。今まで取り組んだことのないレポートを書いて、描いたことのない絵を描いて、そして卒業というゴールに向かって挑戦している。

 自分は今、自分の未来を描いているんだ。それは、ひどく辛く、苦しい。でも、私はちゃんと変わっているんだなってやっと実感が湧いてきた。だから、挑戦の途中だけれど、これからの未来のことを考えながら、もっともっといろんなことに挑戦していきたい。

 そう思えたのは、この大学に来たから。あの時、大学に行くって決断して本当によかった。





 

 


#挑戦してよかった

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