ちょっと奇妙な過去日記#20ー③小林美佳さんとミスターチルドレン「タガタメ」
それから暫くが経ち、インターネットでニュース記事を読んでいた時だった。「性被害 実名で手記」という見出しに目が留まった。小林美佳さん。二〇〇〇年、二四才で性犯罪被害にあった女性の実名の手記だった。小林さんは仕事帰りに自転車で家に向かう途中、公園で性的暴行に遭った。
事件後はPTSD症状に悩まされ、過酷なフラッシュバックに見舞われながら、回復の糸口を掴んでいく──という内容だった。私はこの本を読んで、一時間程の間号泣が止まらなかった。今まで読んできた性被害の手記は殆どが海外で出版されたもので、この日本で性犯罪に遭った女性が紡ぐ言葉はリアリティがあった。私は号泣しながら自問自答した。なぜこんなに涙が出るの?レイプ被害か妄想だとしても、こうして泣くのだろうか。泣くからと言ってレイプが本当だったかどうかなんて分からない。けれど、けれど……。泣きながら、私はあの生々しい記憶を改めて現実として受け止めるようになった。
小林さんは、あまり犯人に対しての恨みを語らなかった。警察の捜査をすり抜ける犯人に対して「ごめんねと思っていてほしい」という表現をされており、「そんなのヌル過ぎるよ‼」と勝手に犯人に対して怨念を膨らませりした。本の最後は、ミスチルの「タガタメ」という歌の歌詞で締めくくられていた。
それでも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すること以外にない
タダタダダキアッテ
カタタタキダキアッテ
テヲトッテダキアッテ
タダタダ
タダタダ
タダダキアッテイコウ
最後のページを飾っていたこの歌詞を読んだ瞬間、私の涙腺は崩壊した。私は心の内でひっそりと温めていた想いがあった。それは、「加害者が更生をしてほしい」という願いだった。もし加害者達に裁判を起こして勝った暁には、彼等にカウンセリングを受けてほしいと思っていた。
暴力行為や幼児性愛に対して専門家の指導の下きちんと向き合い、精神を治療させること……。それは加害者を罰したいという思いよりもずっと現実味を帯びた願いだった。彼等が被害者に対してした行為と同じ痛みを味わえばいいとも思う。レイプされ、心をズタボロに切り刻まれ、一生消えない傷を負えばいい。しかし社会ではそのような報復は許されていない。
ただ一定期間を塀に幽閉することと金銭的慰謝だけが被害者にとっての報いとなる。それってぬるい報復だとも正直思う。けれど、感情を抑えて冷静に考える時、加害者に対して求めることは、そのような復讐行為ではないのだと感じる。
インターネットなどでユーザーがコメントを書き込むことの出来るニュースサイトなどを閲覧すると、「性犯罪者は全員去勢すればいい」「死刑にしろ」といった意見を目にすることが多い。
けれどそんな意見に同調することが出来ない自分自身に気が付いていた。確かにそんな憎悪に心を奪われることはがある瞬間は否定出来ない。けれどそれは表層に過ぎない感情だとも思う。
自分が被害者として加害者に最も強く望むことは、「たとえ何年、何十年かかっても構わないから、心の底から自身の行為を悔いてほしい」ということだ。
自身の蛮行を心の底から悔いること。「被害者に悪いことをしてしまった」という贖罪の心証。「もう二度と同じ過ちを繰り返さない」という確かな反省の証。それこそを、私は強く望んでいた。彼等が心から反省することでもって、私の傷は少なからず癒されることになる。たとえば究極の選択として、加害者に罰か更生かのどちらかしか望めないというのなら、私は加害者が更生する方を選ぶだろう。
綺麗ごとを言いたい訳ではない。それこそが、自分の受けた傷を確実に癒す糧となるのだ。私を襲ったあの四階の悪魔はどこを切っても「犯罪者」でしかあり得ない。けれど、あの側溝に落ちそうなひどく怯えた青年を恨む気持ちには、どうしてもなれないのだ。
「二十四人のビリー・ミリガン」の最終章では、彼にレイプされた女性がやがて弁護士となり、他でもないミリガン自身の弁護人となって彼をサポートするようになるのだ。自分が記憶を思い出す前は、その女性の寛大さに驚嘆したものだったが、今では、彼女の気持ちが少し分かるような気がする。
一般的に、両親の愛情に恵まれ、幸福な子供時代を送ることの出来た人間は、犯罪者になる確率は極めて低いのだと思う。実際に家庭環境の劣悪な家庭で過ごした子供は、犯罪率が高くなるという傾向がその後の追跡調査で証明されている。
もちろん、不遇な環境に生まれながらも本人の努力の元に真っ当な道を歩む人も少なからずいるだろう。「不幸だから」といって犯罪が許される訳では決してないが、客観的に、どうして犯罪者は生まれるのか、どうすれば彼等が人間らしい良心を得ることが出来るのかを考えることは、決して不毛な行為ではない筈だ。
だから社会は、犯罪者に罰を与えると共に、彼等が反省し、犯した罪の深さに慄き、そして他人の痛みが分かる「普通の人間」になることにこそ力を注いで欲しいと思う。世の中では犯罪者に対する厳罰の声が高まっているが、何か大事なことが見逃されているような気がしてならない。犯罪者が服役し、長い年月を塀の中で過ごした結果、彼等は被害者の心情を学ぶことが出来るのだろうか。
きちんとした更生プログラムがはかられることこそが、刑期を重くすることよりも、もっともっと大事なことのように思われる。
海外の犯罪者に対する更生プログラムの記録では、認知行動療法などを使い、実際に犯罪者の再犯率を減らすことに成功している。日本でも、更生プログラムは行われているようだが、今後も積極的にそれらの方策に力を注いでいってほしいと思う。
小林美佳さんの本に紹介されたミスチルの歌詞には、次のような一文もある。
子供らを被害者に加害者にもせずに
この街で暮らすため
まず何をすべきだろう?
未来の犯罪者を生まないために。誰も傷つかず幸福な社会を実現するためには、やはり私達一人一人がいかに他人に対して共感力を培えるかにかかっているのだと思う。被害者となった私は、良し悪しは分からずとも加害者の心に思いを馳せるようになった。
被害者だからこそ、そうなったのかもしれない。被害を乗り越えていく上で私がとった戦略は、相割らず性懲りもなく愛すること以外になかったのかもしれない。ならばその戦略を人生の根幹に据えて、私の武器として生きていきたいのだ。精神病で引きこもりで、何一つ人並みに出来ない私だけれど、志だけは失くさずに、強く生きていきたいと思うのだった。