人海戦術で仕事をするな。from柳井正

 30年前私のすべての服はユニクロだった。たまにマックハウスに行っていたのだが、明らかにお客はマックハウスの方が多かった。

 当時のユニクロはお世辞にもお洒落とは程遠かった。その数年後に大ヒットのフリースを作るまでユニクロは安かろう悪かろう(品質は決して悪くなかったのだが、イメージとして。)の代名詞で、混んでいる店が、和牛の漫才でいじられるような店員が、大嫌いであった私にとってユニクロは天国のようなお店だったわけです。

 それが今では日本を代表する繊維産業になるのだからわからんもんです。あんまりユニクロの体育会気質が好きではないのと繁盛店になってしまってお客が多いのとで今ではユニクロ、GUからは足が遠のいているのですが、先般以降なにかと発言が世間を賑わしている柳井正さんの話を聞く機会がありました。そこでわりと波長が合ったんですよね。もしかして食わず嫌いだったか?と感じたので少し彼の経営哲学を教育現場に援用してみようかと感じた次第。

 ビジネスのロジックを水平思考で教育に援用することに違和感しかない今日この頃の私です。
 広島県の教育委員会や鎌倉市の教育委員会、加賀市の教育委員会(これは後日触れる予定)はビジネスマンや官僚あがりが教育をいじろうとしている典型例だし、藤原氏や工藤氏はビジネスマン校長として学校の枠組みを破壊していこうとしている。こうした取り組みには(一応礼儀として)敬意は評するが、これらの人たちは基本的なことがわかっていないと思う。
 うまく言えていないかもしれないが、教育という「営み」は人が人に影響を及ぼす化学反応であるということがわかっていない。計画に意味を見出すよりは結果から紡いでいく方が生産性が高くなる類だと思います。つまりトップダウンのやり方では生産性が高まる可能性が著しく低くなる蓋然性が高いのではないかということです。
 ただ営みなので「そうしていること」自体にも意味を持っている形態を伴うので必ずしも失敗するとも限らない側面とたとえうまくいっていなくても理屈をくっつけて価値があるように言ってしまうことは可能です。そういう意味では政治のように友敵を決めて競い合って決着をつける必要のないロジックであるという評価の難しさがあります。そこを理解せぬまま(もしかしたら理解してもなお)無理やり計画してその結果を一つの方向に集約して成果が上がっているように振る舞ってしまっても実際には子どもの学びの中身は意図したものとは程遠かったとか意図せぬ不具合を伴ってしまったということになってしまっても仕方ないシステムなのだろうということです。
 直接子どもにおもねったことを語って教職員を飛び越してしまう取り組みは結果的に子どもには届かないということです。さほど日本型学校教育システムは経営者やカスタマーたる子どもの学びよりも教師がどう振る舞うかにかかっているシステムだということです。
 決して教育委員会や学校管理職が主役ではないということです。誤解を恐れず言えば子どもや保護者すら主役ではない。教職員こそが主役であるシステムということになります。主役を差し置いて脇役が先導することなど許されないということ。それは教師が偉いということではなく、あくまでも主導者(そういう言葉があるのかどうかはさておき)であるということです。

 ということは教職員が最も主体的に行動する必要があることになります。その時に経営者が教職員に求めなければならないのは行動の指針ではないということです。
 そうした主体性を発揮すべき人材が成功するためにやってはならないというのが「人海戦術で仕事をするな」ということなんです。柳井さんは時間をかけずに生産性を高くするためには人海戦術で仕事をすることに反対しているんですね。実際学校現場ではブラック化を回避するために人海戦術を図ろうとしているわけです。チーム学校や教科担任制やチーム担任制は、柳井さんのいう人海戦術そのもので余計に仕事を非効率にすることです。優秀な人材が多様性を意識して仕事を個別化していくことに逆行する行為だということになります。同感です。
 ここで柳井さんはそうした個別化の労働を進めるためには「効率的な自己開示」と「責任の追求」は必要だと言っています。私はこれが元になってユニクロの中の人間から非常に体育会系気質だと聞いていたのですが、それはどうやら間違っていたようです。これらを推し進めることは必ずしもイケイケドンドンにはならなかったようです。それはその後のユニクロの繁栄を見ればわかるようにユニクロが安かろう悪かろうではなく、機能やライフスタイルに価値づけをして決して安くない商品でもしっかり売っているところに現れているのではないかと思います。
 自己開示つまり良いか悪いかの意見表明ではなく、自分の立場を表明することによって対話を進めていくというのは私も今強く感じていることです。良いか悪いか、正しいか正しくないかといった二項対立で議論をしている集団は勝ち負けに走らざるを得ないため、深い理解に進むような対話ができないからです。ヌルッとするけど深いところまで辿り着くためには時間をかけて立場の違いを承認するような対話をしていかなければならないということはとても理解できる点です。その時間のかかり具合をきちんと経営側として管理すると評価点として「責任を持たせる」ということなんだと思います。これはクビとか降格とかいうことではなく最後までやり切らせるための指摘なんだろうということです。それは実際には励ましであるかどうかはよくわかりません。

 これが報ステ特別対談を見て私が理解したことです。これは教育現場でも重要な示唆だと感じました。
 残念ながら私はユニクロで働いたことがないのでこれがきちんと運用されているのかどうかはわかりません。でも少なくとも彼が語っていることの意味は理解できたと思いますし、それに共感した部分があることも確かです。

 これをうまく咀嚼して実践化していくことは学校経営の視点としては面白いとは思います。もちろん単純に教職員集団という困難を乗り越えて実践化するのはただ借りるだけではダメだろうというのはこれまで通りの持論です。しかし少なくともチーム学校や働き方改革、チーム担任制や教科担任制がダメであることはこれまでの主張と変わらずです。ビジネスの借り物がダメなのも同様ですがダメダメ言ってばかりいないで幾つかの対案を考えたり、他業種の良いところを見習ったりすることもまた重要なことなんだろうとも思います。

 たまたまユニクロが最高益を更新し、マックハウスが赤字を垂れ流して外資から見捨てられたニュースを見て「正しいことをきちんと語ること」の重要性を再確認した次第です。教育がマックハウスのようにならないことを祈ります。


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