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横浜メリーさんと赤線、青線
↑ この三つに共通するもの
春をひさぐ人々で、横浜メリーさんも赤線青線も吉行淳之介さんの小説から覚えたものです。
私は高校生の時、吉行さんの小説を読んでいて、当時の女性達が不本意ながらも体を売って強く生きていく姿にとても興味がありました。今でも興味があります。
吉行淳之介さんはわかりやすくいうと、NHKドラマ(朝ドラだったかな)あぐりの息子さんにあたります。
吉行さんの父親はかなりの自由奔放さで、個人的にですが、成田悠輔さんの父親と人物像が重なりますw。
戦後の混乱の中で生きていくために、春をひさぐ女性たち。彼女たちはどこへ行ってしまったのだろう・・・と思うとなんだか切なくなってしまいます。そして娼婦と呼ばれたアイコン的な存在が横浜メリーさんじゃないかなって。
横浜メリーさんについて(諸説あるためと、記憶違いがあるかも知れません、どうぞググってみてくださいまし)
画像が当たり前ですが、使えませんでしたw。
メリーさん、若い時にアメリカの兵隊さんと出会います。そしてそのアメリカ兵と結婚の約束をしたそうです。その兵隊さんは数年後日本をはなれます。その時、必ず迎えに来る、あなたは妻だ、みたいな事をいったそうです。
そしてメリーさん、周囲にそのことを吹聴して、(というか自分に言い聞かせていたのではないかと)多分だけれど、本当に待っていたんじゃないかなって、思います。
おばあちゃんになっても、(白塗りのオバケか、と思うほど怖い化粧に白のワンピース)当時の装いのまま、春をひさいでいたそうです。おばあちゃんになっても春をひさぐって・・・よっぽど理由がないとできないですよね・・・
メリーさんを買った人によると、臭かったとか(風呂に入ってない?)色々証言が出てきますが、興味本位でメリーさんとホテルにいく男性もいたそうです。当時はメリーさんは有名人っぽかったみたいです。
でも、あばら家に住んでいた、アパートに住んでいた等、住処はあったような話もあり、路上生活ばっかりというわけではなさそうです。男性の家(といっても当時でも爺さんの年齢)を渡り歩いていたのかな・・・
メリーさんは、90年代に親戚方に引き取られて岡山の老人ホームに入居、その後亡くなったそうです。
一番興味があるのはなぜ老人になってまで横浜で春をひさいでいたのか
結婚の約束をしたアメリカの兵隊さんを待っていたのかなと思います。でも一つ疑問が沸くことがあって、そこまでして何でアメリカ兵を待っていたのかな、と。
そこまでして人を好きになれるのだろうか、そこまでして好きな人を待てるのだろうか、と、疑問がわくのです。
そこまでして?何のために?時間が経つと、どんなに好きだった人がいても少しずつ記憶から遠く消えていくのではないかと思う。
もうここまでくると狂気のような気さえしてくる。メリーさんには失礼だけれど。
港に停泊する船や、海辺に映るオレンジ色の街頭のひかり、灯台の規則的な光の回転、あの光たちを見ながら好きな人のことを思い浮かべてたのかな・・・
考えても仕方ないけど、そこまでして好きな人を忘れられないって、そんなに素敵な兵隊さんだったのかな・・・
でもさ、メリーさんだって数年もたてば、アメリカ兵の、迎えに来るってリップサービスだったってわかるよね、でも、それでも待ち続けるって・・・本当に好きにならなきゃ待てないよね、きっと。
イマイチ理解できない私は46のオバサンになっても本当に人を愛したことが無いのではないかと、時々頭をかすめます。頭で考えるからいけないのかな、とも思います。
終戦時期になると、赤線青線、横浜メリーさんのことを考えてしまう私は変だよね、きっと。
もう亡くなってだいぶたつけど、メリーさん天国で好きな人と再会できたらいいな、あれからの二人のそれぞれの人生語り合ったりしてさ。
戦後どさくさに紛れて懸命に生きてきた人たち、こういう女性達の犠牲の上で私も生きているんだなあって、しみじみと思う今日この頃でした。