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地籍調査でわかった、父方の出自

下岳ではなかった・・・その先の柿迫だった

  • 父方のばあちゃんが生きていた時はまだ下岳の墓参りに行っていた。

  私はばあちゃんが大好きで小さい頃はよく泊まりに行っていた。で、毎年の夏は親戚で集まって墓参りに行くのが習慣だった。ばあちゃんの実家に行ったり、墓守さんとこに行ったり、親戚の家(血筋は遠い)に行ったりした。
 いつも御馳走が並び、実家は簡単な菓子折りを持って行っただけで今思えば大分失礼にあたる、と思う。
 たまに、親戚の親戚の家にいき、すぐ下が川だったので川に遊びに行った。苗字も忘れたけど、氷川高校に通っている男子がいてひょいひょい川を渡り、魚を網ですくっていた。今は60手前だろう。
 いつからだろう、私が高校生になるころには我が家はいかなくなっていた。いつも一緒に行っていた親戚は行っていたようだったけど。

  • ばあちゃんが亡くなって父方の親戚付き合いは一切なくなった。

 ばあちゃんの骨壺を墓にいれるべく久しぶりにみんなで泉村に行った。これがみんなで集まった最後の日になった。
 私はばあちゃん子だったので、20代前半で一人で何度か泉村まで墓参りにいったことがある。独身の頃と結婚してから。ばあちゃんに夫を見せたいと思い夫とも行った事がある。

  • ばあちゃんの家は市内でもわりといいところにある

 実はばあちゃんの家は未だにある。でも誰も住んでいない。土地を売って金に換えてそれぞれの持ち分でもらうようにしよう、と叔母が裁判所に遺産分割を申し立てた。でも28坪の小さい土地はいくらいい場所と言っても不動産屋はもちろん人間wも買ってはくれなかった。
 
 固定資産税は叔母がはらうことになり、この叔母は今福岡にいる。もう70半ばだ。もうわが県には戻ってこないだろう。熊本地震の時にも誰もどうなっているか見ていない。この叔母は曲者で反社の人と一緒に住んでいる。結婚はしていない。一度、何かいい知恵がないか取引のある信託銀行さんに尋ねてみたが、反社がからむと金融機関としては取引ができないと言われた。いい立地なんですがね・・・と。万が一私が叔母の同居人が反社ということを隠していても何かの拍子で分かった場合、アウトになるという。反社のひとは何も関係ないが、叔母と長い間同居しているからそれだけでもダメだという。
 
 私の大好きなばあちゃんの家。小さい頃泊まりにいくと、一緒に歩いて買い物に行ったりした。鈴虫の好きなばあちゃんだった。夜は鈴虫が鳴き、トイレがしたいと思い起きてトイレに行くと、鈴虫の鳴き声が裸電球の暗いオレンジ色の明かりと相まって不思議な感じがした。怖い時はばあちゃんを起こしてトイレに行った。いやほどんどそうだったw。
 
 祖父母には子供が4人いたが、父をはじめ男はみな立たず、女も自己破産していたり反社と付き合いがあったりで分が悪い。じいちゃんは私が3歳の時に亡くなっている。
 実は私の最初の記憶は赤ちゃんだった頃あぐらをかいたじいちゃんに抱っこされたものによる記憶だ。

  • 数年前突然地籍調査が入った・・・

 実は親が富裕層だとわかり様々な金融機関と巨額の取引があることがわかった。元々親と取引のあった信託銀行さんは相続に強く、この先いずれ天に召される時が来る、このままだととんでもない額の相続税を支払うことになる、国に支払うくらいならせっかくだからお子さんとお孫さんに生前贈与をして少しでも相続財産を減らした方がいいと説得され、そうなった。それ以外でも私ともう一人の兄弟の間で争いがおこり今は仲が悪い、おそらく死ぬまでだろうw。
 
 そんな時だった。突然地籍調査が入った。場所は祖父母が眠る下岳よりさらに奥まったところ柿迫だ。生前贈与といい地籍調査といい、何かしら家族関係、先祖と関わることに因縁を感じる。
 
 おそらくだけど、実家は兄弟が未婚のため断絶する。今の代でおしまい。柿迫という平家落人伝説のあるところから少しずつ街へ移動しその最後に富裕層になれたなら、平清盛もびっくりwwwあっぱれじゃないかと思うwww土地名義人から数えておそらく8代くらいかかっている。8代かかれば誰でも富裕層になれるのかwww
 
 思い切って私は先祖の由来の土地に出向いてみたいと思い、説明会に参加し、現地調査に立ち会った。先祖由来の土地は広く36人くらいが権利を持っているという。持ち分の多くはうちと那須さんという血のつながりのない人が持っている。電話でも係員さん丁寧に教えてくれた。もう個人情報も何もないwww那須って苗字自体源氏じゃんかよ、と思い率直にいうと何と柿迫だけでなく、平家落人の伝説があるあの一帯は那須の苗字が多く、おそらく元をたどれば一つにつながるのでは、という事だった。
 
 しかもその那須さん、平清経が落ち延びてきて緒方姓に変わったが(確か大分の方の大名?関係との婚姻で)、その緒方一族を祀るいわゆる平家一族の神社の神主さんをされているという驚愕の事実に突き当たったw平家落人館の近くにあるwww源氏なのに何で平家の面倒みてるんですか~wwwというと係員さん大笑いされていたwww
 
 実は柿迫、いや宮崎の椎葉村かも、には、扇の的にでてくる那須~(名前忘れた)の子どもが平家討伐のためこの一帯を訪れている。そこで出会ったのが、なんと、静御前といって扇の的を持っていた美女。この美女もこの一帯まで落ち延びひっそりと生活していた。運命的な再会。そして那須~の子どもはもう平家はいないと嘘の報告をし静御前と暮らすことを決めた。だけれど帰らないのも不審がられるので、自分たちの間にできた子供が男だったら〇〇のところに預けなさい(県外だったと思う)、ここにいるといずれ見つかるから、女の子だったらこの地にとどめていいと言い残し彼は帰っていった。生まれた子は女の子だったという。この静御前に由来する湧き水が確か柿迫にあったはず。
 
 実際那須さんとお会いして、遠い昔は先祖がお世話になりました、と話した。36人の共同名義の土地の一部に那須さんは今も住んでいる。そして無人となった平家落人伝説の残る神主がいない神社を10数社請け負い、用がある時だけw神主をしているのだという。あとは個人的な事なので割愛。
 
 ではなぜ36人もの人の名が土地名義になっているのか。係員の人に尋ねると、大昔は祠がたくさんあり、そういうところの土地は地域一帯の人の名前で登録していた。だから元々は何かを祀る祠があったと思うということだった。古いお寺なんかは未だに50人の土地名義があり、まあお寺だからみんなうちのもの!なんて文句言う人はいないですよ、と教えてくれた。おそらくここ一体は昔は人がたくさんおり地域一帯で祠を管理していたのでしょう、そして権利の一番多いひとがあなたさんと那須さん、那須さんはあなたさんの先祖がいなくなってからもずっとこの土地にいたんですよ、と。

 そう考えると、人がどんどん都会にいきいなくなっても先祖代々住んでいてくださって本当にありがたい、そう那須さんに話した。那須さんも70半ば。もう会う事もないだろう。近くに江戸時代に作られたと思われる年号の書かれたお地蔵様を発見。合掌礼拝。

 ちなみにうちは浄土真宗単立派、らしいがわが県には単立はなく、別の派のお坊さんにお経を読んでもらっている。ちなみに親に尋ねたことがあるが、浄土真宗にこだわらなくてもいいと言われたwwwうちは兄弟仲悪いから多分分骨になるというと、そう、と一言。死んでからは記憶がないから好きにしてもいいということだった。こちらもあっぱれ。

 ちなみに実家には先祖が平家とかそういうのはない。よくネットで見かけるが、九州だから平家、とかのたまっている輩がいるが実際そこの土地に関わってみると恐れ多くてそんなこと言えない。

 そして今思ったが、息子の友達A君が東大推薦に受かったとして、悠仁様とご学友wになったら、ひょっとしたらどこかで―――と(ありえないけどwww)思う事がある。そうすると清盛さんよ~悲願達成だね(何が?w)、なーんて。


 

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