辛かった病棟看護師生活
4大を卒業し大手病院へ就職する
私は看護師として大学を卒業し大手の病院に勤めることになりました。
看護学生時代は辛かったことも多かったけれど、何とか乗り越えることができた4年間、充実していました。入職後は看護師として一人前になるために終業後も勉強の日々でした。
私たちを追い詰める新型コロナウイルス
しかし、1年目の私に新型コロナウイルスという未知のウイルスが襲いかかります。私が勤めていたのは地域の基幹病院。さらに近隣には国際空港もあり、新型コロナウイルス患者を受け入れなければなりませんでした。
当然新型コロナウイルス患者を看るためには人手が必要です。一般病棟からは看護師が減らされていきます。さらに、密集は新型コロナウイルス感染の元となるため、研修も十分に行われませんでした。
病棟では、人も少ない上、新人の教育もしなければならない。そんな環境で皆疲弊していきました。
もちろん私も、怒られながらも必死でした。迷惑をかけないように、早く一人前にならなきゃと一生懸命勉強しました。
8時半始業でしたが、先輩たちは7時半出勤。当然私たち新人もそれよりも早く出勤します。終わるのは20時から遅い時は22時。夜勤も16時半から8時45分までですが、15時半には出勤し、終わる時は次の日の昼11時なんて日もザラでした。休みもいつの間にか−5日、もちろん有給が、ではありません。普通にもらえるはずの休みが5日も足りないのです。1年すぎたぐらいの頃からだんだんと私は起きられなくなっていき、時折休むようになりました。
ついに起こったクラスター
1年目の最後に差し掛かったとき、喉の違和感と発熱しました。そしてついに新型コロナウイルスに感染してしまったのです。感染経路は不明。一斉検査で病棟の看護師、患者共にほとんどが感染しました。
認められない後遺症
私は咳がひどく、7日経過しても治りませんでした。その旨を係長に相談し、診察依頼するも、「熱もないし、みんなそうだから。」と診察はなく出勤するよう命じられました。
疲労骨折を起こす
出勤し1週間が経った頃、胸の左辺りが痛むようになり、その後、夜寝返りもできないぐらいの痛みが襲いました。
救急外来を受診しましたがCT上には何もないからと診断はつかず、整形外科を再度受診するようにと言われました。
師長の言葉
私は上記の旨を説明し、夜勤を休ませて欲しいことを師長に伝えました。しかし「最近休み多いよね?夜勤変わってもらうの大変なのわかってる?」と言われました。確かに、1ヶ月から2ヶ月に一度休んでいたのは事実です。ですが夜勤を休んだことはありませんでしたし、むしろ代わりの夜勤なども出ていました。ここから心が限界に近づいていきます。
やっと診断がつくも・・・
"肋軟骨損傷"という診断が3日後につきました。「CT上何もなくとも軟骨が損傷している可能性がある。2週間は荷重制限をしてください。」と言われました。
そのまま師長に相談すると「それって仕事これるの?これないの?もう一週間も休んでるんだけど。」と言われました。診断書をもらい、休めばよかったのですが当時知識がなく曖昧な答えしか伝えることができませんでした。
休みたいと勇気を出して伝える
私は「しばらく休みたいです。」と勇気を振り絞って伝えました。そうすると、「診断書とかないとこれ以上休めないから」と言われました。ここで初めて診断書の存在を知ることになります。私が、無知なのがいけなかったのですが、今思えば、師長も診断書の存在を教えてくれればよかったのにと思います。
2週間後師長の一言
整形外科の先生は優しく、「大丈夫だよ。」と診断書を書いてもらい、2週間お休みすることになりました。しかし私の心は、あんなに頑張って働いてたのに、病気で休むのもダメなのか…と気持ちが落ち込んでいき、「もう病院には行けない。」と思い始めました。
味方はいないの?
辛くて、仕事に行きたくなくて、でもどうしていいか分からず、何度も泣きながら母に電話しましたが、「奨学金があるんだから行きなさい。辞めるのは無理だよ。」と言われました。そこで完全に心が折れてしまい、消えてなくなりたいと思うようになります。
唯一話を聞いてくれた父
母に何を言っても、現状を理解してくれないので父に相談することにしました。そうすると、「精神科に行ってみなさい。」と言われます。
精神科って…そういう病気の人だけが行くのでは?と思いましたがものは試しで行ってみることにしました。
そこで調べるうちに、"起きれず仕事に行けない"という自分はメンタルの病気なのではないか?と思い始めます。
夜勤を心配する師長
2週間になるころ、師長から呼び出されました。師長の一言目は「それでこの日からでいいんだよね?夜勤はいつからできるの?」でした。流石に開いた口が塞がりませんでした。私は、この時心がぽきっと折れてしまいました。
私は、「気持ちが辛くてたまらないため、仕事復帰は無理です。1週間後に精神科の予約が取れたためそこで見てもらってからになります。」とはっきり伝えました。
そうすると師長は態度をかえ「みんな待ってるんだよ?この予定の夜勤も出なくていいから、ね。戻ってきてよ。」と急に優しくなりました。
心の折れた私は「無理です。ご迷惑おかけしてすみません。受診後またご連絡します。」と伝え退出しました。
トラウマは残る
受診後"不安神経症"と診断がつき2ヶ月ほどお休みをいただきました。その期間私の所属していた病棟は解体され私は別の病棟へ所属が変わりました。
その後もリハビリ出勤を繰り返しましたが、気持ちが元に戻ることはなく、4年目の春退職しました。
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