「サッカーが好き」を因数分解してみる vol.1
自分の好きなものを聞かれても、あまり見当たらない私が、唯一「好き」と心から言えるものが「サッカー」です。
そう答えた後に聞かれるのが、「どこが?」「どういうところが?」の問い。
スムーズに返答できない私。
自分自身が「サッカー」のどこが好きなのかを言語化するために、
「サッカーが好き」を自分なりに思考し、因数分解してみることにした。
1.サッカーとの出会い
3兄弟の末っ子で産まれる。
長男とは7歳差。次男とは3歳差。
物心がついた頃には、兄貴二人がサッカークラブに所属しており、
土日はサッカーを見にいくのが小さい頃から当たり前の環境でした。
小学校に入るときには、そのサッカークラブには、
当然のように入る流れに監督も親もなっていました。
自分もその流れに抗うことなく、自然とサッカークラブに入部。
背も小さく、パワーもなく、スピードもなかった私ですが、
不思議とゴールは決めれる少年だった。
今考えると、産まれてから自然と試合を観たりしていたので、
直感的にどこにいればボールが来るのかを観察し、なるべく自分の得意なプレースタイルに持ち込むことに特化していたんだと思います。
トラップもコンタクトプレーもドリブルも得意ではなかったので、
基本的にはゴール前でのワンタッチプレー。
ゴールを決めるとみんなが喜んでくれて、自分も嬉しい。
その無限ループが自分には心地良い瞬間。
どうすればゴールができるのかを思考し続ける事自体に魅力を感じていた。
ときは1980年代後半。
キャプテン翼が流行っていた時期。
Jリーグはまだなく、日本のサッカーの夜明け前。
2.なぜ因数分解するのか?
40歳を迎える年。
何となく人生の半分くらい。
誰かのために生きてきた40年。
もう少し自分の本来あるニーズに問いかけて、
自分のために生きる人生にしてみたいエゴが芽生えだす。
「自分が本当に好きなものは何?」
「あなたは何がしたいの?」
そう自身に問いかけた時。
ぼんやりと思い浮かべるのは、
「う〜ん。なんか唯一好きなのはサッカーだな」
自分なりの仮説を立ててみた。
「そこを掘り下げたら何か見えてくる気がする!」
これからの自分の人生をクリエイトしていく中でのヒントがこの中にはあるのかもしれない。
3.私とサッカーの関わり
・情熱期 〜地元サッカークラブに所属〜
(小学校6年間/1989年〜1995年)
「FW・点取り屋・副キャプテン・10番に憧れるも惜しくも9番」
ヴェルディ川崎が全盛期でラモスやカズに魅せられる。
当時のホームグラウンドの等々力競技場や国立競技場・練習場などにも、
足繁く通う。Jリーグチップスを買い漁り、ヴェルディの選手を当てては、
夢のイレブンを想像の中で、作ってご満悦する日々。
サッカーブームに全乗っかりで生きていた。悪魔のような思考回路。
「サッカーか?それ以外か?」
サッカーに関係しないものは全て悪であるという思考回路の元で生きる。
サッカーをしない人とは基本的には話さないし、興味ない。
子供の頃によくやる遊びはほとんどせずに、サッカー漬けの日々。
〈時代背景〉
・1992年 オフトJAPAN発足
・1993年 Jリーグ開幕
・混乱期 〜中学校部活に所属〜
(中学校3年間/1995年〜1998年)
「天狗の鼻をへし折られ、めっちゃ傷つく中2病」
調子に乗って、ジュニアユースのセレクションへ受けにいくも、不合格。サッカー部に所属するも、背が小さく、センスのみでの小学校時代の貯金を使い果たす。圧倒的なフィジカル不足でレギュラーメンバーからも外される。大好きだったサッカーに裏切られた感覚になり、一転サッカーが嫌いになり始める。
〈時代背景〉
・1996年 アトランタ五輪出場
・1997年 「ジョホールバルの奇跡」で初のW杯出場
・1998年 高校サッカー選手権 「帝京×東福岡」〜伝説の雪の決勝戦〜
・1998年 初のW杯出場でグループリーグ全敗
・1998年 横浜フリューゲルスまさかの解散
・暗黒期 〜サッカー嫌いになる〜
(高校3年間/1998年〜2001年)
「全てはどうせ終わりなんでしょう?」
自分には「サッカーしかない」そう思って中学生くらいまで生きていた。プロサッカー選手になる以外は何も考えていなかった。しかも1999年はノストラダムスの予言では人類滅亡すると聞いていた。どうせみんな滅亡するなら、もう俺は何もしないと心に決め、勉強も趣味活動も何もせずにただダラダラ生きることを決意するが、まさかのノストラダムスの予言が外れる。
「え〜い!もう俺はサッカーを辞めて違うことで一番になるんだ!」
そう思って、なぜか剣道部に入るも、全く強くなれず。
嫌だ嫌だと思いながら、サッカー部の練習をグラウンド付近で眺めては、
「えっ!絶対俺の方が上手いんですけど・・・」と斜め上の性格の悪い見方をする悶々とした日々。
球技大会では、サッカー部には負けないという熱い情熱を持って挑む。点を取ったりちょっと活躍した記憶はあるが、そこまで覚えてない。
この頃に身長が150cmから170cmへ脅威の爆伸びし、サッカーを辞めた瞬間に、フィジカルが追いつく謎な現象。
リアルサッカーには嫌気が差して離れるも、この頃にはゲームにハマり、プレステでウイニングイレブンを延々とプレイし続ける。
〈時代背景〉
・1998年 トルシエJAPAN発足
・1999年 ノストラダムスの予言
・2000年 アジアカップ日本優勝
続く