1年間ありがとう

 早いものでTwitterで新しいアカウントを作って音楽的な事をやり始めてから1年が経ちました。
こんな自分なんかに、よくもこんなに沢山のフォロワー様と自分なんかの投稿に高評価やリツイートをくださるフォロワー様には日々日々感謝しています。

 私は何度かお話しした事はあるかもしれませんが、楽器の経験やバンドを組んだりとかの音楽経験が何も無く、しかも部屋にあるパソコンは普段は電源すら入れていない埃の被った状態のノートパソコンが1台(使っていない)しかないので全てスマホで曲や動画を完結する事しか出来ません。
それでも何とか今までやってこれたのは、それしか知らないと言う事が器用なのか不器用なのかは別としてフォロワーさんやその他の色々な人にせっかく始めたスマホだけでの曲を少しでも聴いて貰えたら嬉しいかなぁって安易な気持ちで始めて、せっかくだからTwitterで新しいアカウントを作って同じ様な事をしている仲間でも出来たら良いなと思って始めてみました。
その何ヶ月か前にYouTubeチャンネルを開設して、その当時は緑色の丸の中に“い”って書かれた平仮名のアイコンをせっかく貰った物だから暫くは大切に使おうと思い、ある程度したら皆んなと同じ様に綺麗な物にするまでは身の丈に合わせてこれで良いや、と思い「おかわり」さんってイラストレーターさんにお願いするまではそんなアイコンでも有り難く使用してました。
 これもお話しした事はあるかもしれませんが、そもそもスマホで音楽が作れるって知ったのは今から丁度2年くらい前に椎間板ヘルニアで立って歩く事さえも出来なくなった夏の終わりに手術の為に入院した病院のベッドの上でやる事がなさ過ぎて暇過ぎたのがそもそものキッカケです。
 当時はDTMって言葉さえも知らずに、ただただ黙々とその面白さにハマってしまい約2年が経とうとした間で何度かのスランプと言うか全く手に付かなくなる様な事はあったのかもしれませんが、ここへ来て自分の中ではこれまでのそれとは比べ物にならないくらいの不調に陥ってしまいました。

 ちょうど去年の今頃に仕事やプライベート的な事で色々と出来事が重なり、食欲も睡眠欲も全ての欲が無くなり少量の食べ物を食べては吐いて夜も自分ではいつ寝ているのかさえ分からずに気が付いたら朝になっていて嫌々と仕事へ出掛け、またそれを繰り返しては辛うじて死んでいない人の状態。
 約1週間後の仕事中に倒れてしまい、その足で病院へ行きました。

 何となくは分かってはいましたが行くのが恥ずかしいとか人から見られたら恥ずかしいとかの思いで中々に足を運べませんでしたが初めてメンタルクリニック、いわゆる精神的な病院へと足を運びました。
先生から処方されたお薬は今までの自分とは絶対に無縁な物だと勝手に思い込んでいました。
院内での診察で先生との質疑応答の中で、自分は小中高とキチンと通わせて貰ってそれなりに恋愛もして結婚もして離婚こそしていますが元気な娘が3人もいて今でも仲良くさせて貰っていて、各々がそれぞれ大きくなってもう手のかからない年齢になっていて自分の中ではもう思い残す事ややりたい事は全てやったし本当に、もう何んにもありません。あとは生活を共にする母が自立してくれれば自分は自らの手で命を絶たないまでももういつ死んでも何ひとつ思い残す事なんて無いんです。
 先生にお話しして聞いてくれた先生から貰ったお薬。

“抗うつ剤” “睡眠薬”

処方箋で貰ったお薬を手に取って目にして、

⁇えっ⁇オレが⁇
って思ってはみても、
まぁ、何となく察しは付いていたので暫くは頂いたお薬を飲んで少しずつは食べ物も食べれる様になってきました。

 そんな中、Twitterで新しいアカウントでも作ってみよう…と思って作ったアカウントがコレです。

 深夜の2時間DTMなる物を知ってハッシュタグを付けて2時間で作った曲を披露して視聴し合う。なんて面白い企画なのだろうと思って去年の9月の終わりから今日に至る迄にトータルで何回参加させて頂いたかは数えてはいませんが、そこから沢山のフォロワー様と繋がる事も出来たし曲も色々と作れました。
 好不調のバイオリズムはあっても、ずっと続けて行ける物だと思っていました。

 一昨年の夏に父が他界してそれまで一緒に暮らしていた母が、どうしても1人で生きて行くのには困難な人だったので独り身になった自分が面倒を見ながら支えて行くのが普通の事で、そうするべきなのかなぁと勝手に思っていて取り敢えずはそうして来たのですが、普段の仕事から疲弊して帰宅して来て毎日の様に同じ内容の事を聞かれては素っ気なくそれを返す。
 認知症の完全なる予備軍とも言える母はスマホ1つ取っても至って簡単な使い方さえ何度も聞くし自分で物事を決める事が出来ないので家の中のほぼ全てを指示してあげないと何も出来ない。
 きっと他人から見れば面倒見が良くて優しくて良い人って映るのかもしれないけど今の自分なんてそんな要素は何も無くて、ただただ流れる様な毎日に早く自分の時間を持ちたいなぁとか、もう少し楽になりたいなぁって思っているだけの社会に出る成人男性では失格なのかもしれない。

 考えなくても良い事を考え込んで、また頭が痛くなって元々偏頭痛持ちだったから頭痛には慣れていたけれど左耳と頭が時折引きちぎられる様に痛い。

 なんだろう…
母を大切に思っていないバチでも当たったのかなぁ…
 あぁ、もう朝が来た。
仕事に行かなきゃ…。

 何やら、その繰り返しで
また病院に通う事になってしまいました。

 たまに耳にする言葉や理念的な考えで、抜けた才能やセンスを持つアーティストさんやクリエイターさんは他人とは違った物の見方や考え方を身に付けている分、世間一般では当たり前の様な事が出来なく所謂、少し変な人って思われがちな面もあるらしいけど自分はそのどちらでもない…。ただ単に頭がおかしくて母親の面倒も見てあげられなくて、そんなイライラを職場で言わなくても良い様な事を同僚に八つ当たりしてしまい単なる使い勝手の悪い人って思われているに違いない。

 こうして、また考えなくても良い様な事を考えて自分1人なんかが居なくても世界は周るし何ら困る事なんて何ひとつとして無い。

って考えてたら本当に何も出来なくなりました。

 キラキラしたSNSの世界とは少し距離を置いて病院へ行って来ようと思ってたら1年前の今日がどうやらご登録した日だと通知が来ました。


 人に思いを伝えるのって凄く難しい事なのかもしれないし実は伝わっていないのかもしれない。

元々、何を取っても優秀でも秀でた才能がある訳でもなく何となくの感覚だけで生きて来たから考えなくても良い事を考えると頭がおかしくなるのかもしれない。

 ただ、人との約束は果たしたいし人からどんな目で見られようとも自分が出来る事は頑張って出来る様にすればそれだけで良い。

 人に思いを伝えるのは凄く難しい事なのかもしれないけど伝わったら嬉しい。

結婚してた頃に仕事から帰ったら当時3歳児の三女が書いてくれていた言葉と文章。

ー翻訳ー
パパ、早くスノボーやりに行きたい。
あと、いつもお仕事夜まで凄くありがとう。

 人に思いを伝える事を数値化してどちらの方が優れているなんて事は出来ないのかもしれないけど、少なくとも今の自分なんかよりは10年前の三歳児の方が伝わる文章を書けたのかもしれない。

伝わったから、これが書かれているボードを目にした時に涙が出そうになったのかもしれない。

 少し、ゆっくりと休んで心と頭と左耳と。

治ってきて良くなって来たらまた創作活動でも再開したいと思います。

 まぁ、自室で寝っ転がりながらスマホ1つで作る物を
“創作活動”と言っても良いのかどうかは分からないままですけど笑笑

そう思って、病院へ行って来ました。

 またあの時と同んなじお薬を貰いました。

また戻って来れたら戻って来ますので、それまでは。

 また、戻って来れたら🙂

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?