2023-05-18

趣旨

日記というか思ったことを書き連ねていこうと思います。
多分誰も見ないだろうから言語化してるだけとも言えますね。
なんかの間違いで見る人がいたらそっ閉じしてくれるのが1番嬉しいです。

一人でいること

前々から思っていたけど自分は誰かと一緒にいこと自体はとても好きなんですね。
友達といたり先生や親の職場の人たちと話をしたり。
苦ではないです。友達といるのはむしろ楽しいとも思います。
一方1人がとても好きです。誰にも変な目で見られないし周りに気を使うこともないです。
じゃあなんでこの相反する2つの状況を好んでいるのでしょうか。
答えは僕は「普通」に結構かなり憧れているからです。
「普通」に友達がいる、「普通」に話す、
まあちょっと別の話になりますけど「普通」の恋愛をするとかも当てはまるんでしょう
ここでは「そうなるのも無理もありません」と自分を守っておきます。
こんな家庭状況ですし「『普通』に飢えるのは致し方ない」と言ってもバチは当たんないでしょう。
問題はその「普通」の概念が凝り固まってるってことなんですよね。
「普通」なんだから頑張りゃ到達できるはずっていう強迫観念に囚われてるんでしょうか。
言語化して分かりましたがこれ凄い馬鹿のすることのような気がしてきました。
自分の作った幻想に囚われて自分で勝手に苦しくなってるんですからね。
でも辞める訳にはいきません
なぜならこれを辞めてしまえば僕に残るものは一切ないと言っていいと言える状況になるからです。
「兄」としても「大学生」としても「男」としても僕は心のどっかに「普通」でありたいって気持ちがあるでしょう。
その心に従って僕は生きてきました。
それを今更やめろって言われたってどうしようもないんですよ。
なので友達とは仲良くします。
実際多分楽しいし。
趣味になりつつあるところもあるんでしょう。
だけど
この心の
二律背反は
きっと
ずっと
消えぬまま
僕の心に無理を強いるでしょう。
今はただそれが辛い。
そういう話でした。

恋愛というかそういう話

まあちょっと上の話にも書きましたが
私の恋愛観(?)はかなりメンドクサイです。
大学生になってちょっと感じましたが
私、一緒にずっと人がそばにいてくれればそれでいいんでしょう。
ルームシェアでもなんでもいいです。
沈黙が気まずくないような
時々馬鹿言い合えるような
そんな関係の人と
なるべく長く、出来れば死ぬまで一緒にいたいのです。
まぁそんなご大層な理想も抱えつつ
普通に恋愛もしたいです。
出来れば同性と。
自分の嗜好について考える度に思うんですけどこれって父性を本能的に求めてんでしょうか
でもそんなこと言ったら世のシングルの子供は
みんなそういう嗜好になるとかいう
私にとってのパラダイスになってしまいます。
まあだから違うんでしょうね。
話が脱線しましたね。
で恋愛をするとなった時に最終的に行く着く先は現代日本だと結婚なわけです。
もう無理です重すぎます。
結婚にいいイメージがないのが悪いんでしょう
でも無理です。
あの関係性は今の僕には重すぎます。
しようと思ってもできないだろと言われたらホントにもうその通りですけど。
そんなこんなで私に恋愛は難しそうだなというお話でした。

あとがき

いやーちょっとはスッキリしました。
考えを文章化するうちに新たな発見もあって楽しいですねコレ。
こんな感じのことをまた書いていこうかな

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