2022年年末のこと

 私が悪いのでしょうがどうしても言わせてください。

とある人がいらっしゃって、たくさんの食事を作ってくださったのです。
もう食べきれないくらい。

二泊されたので
その間私は食事は作らずに済みました。
楽させてもらったよね。
でもなぜか もやもやするのです。

その方が来る前からうちの台所で料理する宣言をされていました。
そのためその方が頼んできました食材を冷蔵庫に買って入れておりました。

平日にいらしたので私は日中仕事に出かけました。

夜帰ってきましたら、
食べきれない食事と余白のない冷蔵庫。
私は買わない肉類がパンパンでした。

しかも野菜に至ってはいくつか頼まれたものと
かぶっているのです。
ほうれん草が、レタスが
葉物野菜は足が速いのです。


ありがとうございます。
おいしくいただきました。
しかしその方が帰られたあと、

年末はゆっくり大掃除やら忙しいため、
適当な食事をすると思っていた私の予定が狂うのです。

今日は一日料理をしました。
残骸野菜のスープ
残骸肉をミンチにして残骸野菜とキーマカレー
買ったことないスペアリブを煮込んで角煮みたいな料理。
自由の大事さに気づかされる瞬間は
自分の予定が著しく狂わされたとき 気づく。


そう思った年末です。

そして、自分が使ったことのない材料で料理を作る苦痛。。

 思いやりを持て。
人の好意には感謝する。
有難くいただくのだ。
感謝するべきだ。

この10年私がアイデンティティーに取り込もうとしていた努力。

やはり本来の身勝手さが勝ちました。
どうしても好意という名の負担。強制。エリアの侵略。
このような言葉に変換されてしまうのです。

 
年末2023年にあと数日でなろうとしています。
2023年。もっとまるく。大人に。身勝手さをそぎ落とし。
皮肉。いじのわるさ。底意地の悪さをできるだけ捨て。

優しい。思いやりを持って。悪目立ちせずつつましく。
品よく。

なんて本当になりたいと思っているのか?
ありのままの自分を肯定したい。
いつまでもそう思っているのではないか?

なんて思って旧友にこの話してみたのです。

友達はなんの文句やら?
という反応でした。
きっと電話を切った後、年末で帰郷している実家の母親に
なんて礼儀知らずな友達だと話しているのでしょう。

言い忘れてましたが、泊まりに来たある方とは義母です。
ほらきっと、なお礼儀知らずと思うでしょう。


とても後ろめたく思っているのです。この怒りを

そしてそれを旧友に話してしまって、
は?
という反応に深く傷ついている。

もっとうまく話したかった。私のこの気持ちを理解してほしかった。全力で擁護してほしかったと身勝手さが泣くのです。


この駄文を2023年7月に読み返しています。
思い出して尚いらだちが戻って参りました。

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