最期に喉を潤すものは
うちは父方家族も母方家族も経口飲食ができなくなったら自然に任せる方針である。胃ろうや点滴等の延命はしない。
昨年亡くなった母方の祖母は、介護施設で晩年を過ごした。飲食ほぼしなくなり、ほぼ1日寝ている状態になった。それで介護施設から連絡があり、祖母にギリギリセーフで会うことができた。
その2日後に静かに息を引き取った。
亡くなる前日、もう何も口にしなくなっていたのに彼女は急に「コーヒーが飲みたい」と言ったらしい。
職員さんも彼女に嚥下できる力はほぼないとわかっていたがホットコーヒーを淹れてくれた。カップを近づけ、湯気をあおいで、香りを感じると満足気に顔を緩ませていたという。
職員さんのお心遣いには本当に感謝した。祖母が飲めないとわかっていても、工夫してくださったこと。
今年の明けに亡くなった祖母は、ヤクルトが好きだった。食欲がない時にもヤクルトなら飲んでくれていたという。
遠方に住んでいて、同居していた叔父が毎日施設に通って面会をしていた。
彼女も飲食がほとんどできなくなった頃に、嚥下ももうほぼできなくなってるのにぽつりと「ヤクルトが飲みたい」と叔父に言ったそうだ。
叔父はもちろん買ってきた。でも一口も飲めないまま、それが最期となった。
人は嚥下能力というか飲食する力が無くなってもふと、最後になにか飲みたいものを思い出すのだろうか。
じゃあわたしは、最期に何を飲みたいと言うのだろう。知る由もない。誰にもきっと残らない。だって私は末代だからね。