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祖母の形見と何も残せなくなった私

上の記事を書いた時は紛れもなく、子どもも何も残さない事に疑問を抱いていなかったし、それが誇りだった。しかし祖母の形見たちを見たときから揺らぎ、軋み、迷いが生じるようになってきた。

2年前に亡くなった祖母の形見の整理は今も続いている。物持ちだった祖母は生前の希望で形見の整理を唯一存命の実子である母一人に託していた。

少しずつ、少しずつ、母は祖母の家に通って整理をしている。

この間、帰省した時に様々なジュエリーを見せながら、あんたは要る?要らん?と一つずつ確認された。

私には不釣り合いな証明書つきの高価なプラチナや宝石のジュエリーもあった。

証明書がないものは、スマホで写真を撮ってGoogle画像検索したら出るわ出るわのブランド名。便利なものだ。

いくつか私でも着けれるようなデザインのものだけとりあえず分けてもらったがまだ一度も着けていない。

祖父が早逝後に世話を焼いてくれた男性たちからのプレゼントはなんとなくわかった。彼女は魔性の女でもあった。そんな品々の一部も貰ってしまった。

さて、彼女が遺したジュエリーやアクセサリー。受け取ったものも、そうでないものも、指輪はすべて薬指にシンデレラフィットしたのが少し嬉しくもあり、恐れも感じた。

じゃあ、このジュエリーたちは私が死んだらどこへ行くのだろう。そうだ、私はもう何も残せないんだった。

異性ともうまくやれず、年齢的にも精神状態的にももう子どもも残せない私は、受け継ぐことなんてできないんだ、という事実がずしりと重くのしかかってくる。

今まではそんなんどうでもよくて、何も残さず死んじゃえばいいんだと腹を括っているつもりだったのに。普段ガラス越しでしか見たことのなかった貴石や貴金属、ブランド品に気圧された。

思い切って退職祝いに買ったティファニーのシルバーリングも、プラチナやゴールドと貴石の輝きを見てしまうと「もっと上ってやっぱすごいんだ」と凹まされた。

自分の稼ぎで買ったという誇りも曇りそうなくらい。

彼女の遺した形見たちは、私の今までの強がりを、輝きでぶん殴ってきた。

うん、誰にも何も残せないんだ。わたし。もう。
なんかそういうことが今まで平気だったのに、急に悲しくなってきて。じゃあ今からでも頑張って婚活して妊活挑戦しようとか養子縁組しようとかそういうマインドになれる訳でもなく。

どうしたらいいんだろうね、私。もう遅い。ひとりぼっちが怖くなかった私が揺らいでいる。

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