私が青年海外協力隊になった訳

2022年度4次隊としてモザンビーク へ派遣されるまで残り2日となった。
JOCV同期の子たちがnoteやブログを開設し、記録を残しているということで自分もやってみようと思い立ち、こうして文字を書き連ねている。

本音を言うと、渡航を控えてあれこれ考えてしまい、緊張と不安で不眠傾向にあるので、寝るまでの時間潰しでもある。

しかし、私は日本語がとても苦手で国語の成績は常に5段階中の3だったし、友達と話をしていてもあちこちに話が飛ぶから話をなかなか理解してもらえない。
読解力もなければ、伝達力もないので、思いのままに書いていこうと思う。
日本語がおかしくても温かい気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。笑

まず、初心を忘れないために、自分のことやここまでの道のりを思い出しながら書いていく。

私は本当に単純な理由で青年海外協力隊になった。
他の子みたいに、自分のボランティア経験を通して世界を救いたい、とか、NGOでの経験を経て自分の力を世界で発揮したい、とかそんな立派な理由なんて何一つ持っていない。


ただ一つ、世界で困ってる一人でも多くの人に寄り添いたい。ただそれだけ。


小さい頃、テレビで見たアフリカの貧困問題。
自分は毎日不自由なく生活して、お腹いっぱいご飯が食べれてあったかい布団でゆっくり寝れるのに、一食分の食事も満足に得られず命を落としていく子供達がいることが不思議だった。
何故、同じ人間なのに、これだけの違いがあるのか。
何故、同じ人間なのに、安心して生活出来ない人々がいるのか。
幼いながらにふと疑問に思った。
そこからぼんやりと、いつか自分が世界中の子供達の健やかな毎日に少しでも貢献出来たら、と考えるようになっていた。

国際協力について関心はあったし、学生時代に語学留学をしたいと考えていた時もあった。
だけど、私には兄がいて、ずっと親は兄にお金も時間もかけていたから、私は出来るだけ親に負担をかけないように、と考えて公立の高校、大学を選択し進学した。

交換留学制度のある私立の大学に進学したい、とは言えなかったし、自分でアルバイトしてお金を貯めて短期留学にチャレンジするなんてことも出来ず、自分の手の届く範囲の世界で保守的に生きていたように思える。


大学生の頃、ご縁があり、帰国直後の青年海外協力隊の方にお話を聞くことがあった。
異国の地で自分の経験や知識を用いて現地の人々へ指導したり、共生し必要とされている姿は単純に、すごい、と思った。

思い上がりかもしれないが、青年海外協力隊になれば、自分も世界の一人でも多くの子供達を笑顔に出来るかもしれないと思えた。
世界って意外と近くにあるかもしれないって初めて感じた瞬間だった。


この時から私は青年海外協力隊になろう、と心に決めた。単純だけど。笑
行動するきっかけや理由なんてなんでも良いのかなと今は思う。
なんなら誰かを救いたい、とか、笑顔にしたい、とかそれでも良いと思う。個人的にはね。
誰かが困ってたら助けたいし、自分も助けて欲しいし、そうやって人と人の関係は成り立っていくから、誰かの役に立てたらそれで私は幸せでいられると思う。

そこから6年半理学療法士として大学病院で臨床経験を積み、コロナ禍を経て、今までの人生での最大のチャレンジをした青年海外協力隊に合格し、第一希望であったアフリカの児童保護施設へ派遣されることとなった。

じゃあ何故対象が子供の施設を選んだのか?
それはまた任地で働きながら感じたことも含めて書いていきたい。


あ、出発前に髪の毛切りました。
おやすみなさい。


※ちょっとだけ照れ臭いのでもしかしたら消すかもしれません。

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