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リョウガノス。について

初めましての方は、はじめまして。
いつもお話してくれるみんなお世話になっています。
うみです。2023年8月に超特急を知り、リョウガさんに惹かれた20代女。好きな食べ物は、というより嫌いな食べ物の方が圧倒的に多いかもしれません。休みの日は友達と遊びゲラゲラ笑っているか、やることがなくスマホをイジって時間を溶かしてるかの2択です。
最近は、2024年毎日書くと決めた日記をひたすらにサボっています。

見覚えありますか?

そう。
ちょうど一年前の15時に更新されたリョウガノス。#1の冒頭です。

リョウガノス。が最終回を迎え、以前から友達に宜言していた「最終回を迎えたら泣きながら卒論を書く」を実行しています。見てくれているかな?
それでいうと「泣きながら」の部分はまだ実行していません。

元々このブログは4,000字(リョウガノス。1回分の長さ)あったんだけど、そんなの誰が読むねん。長すぎだろ。ということで急遽ギュギュッと半分くらい削ったので、急ぎ足で本題に入ります。

私がしつこいくらいに「リョウガノス。だいすき!」と言い続けるのには理由があって。

私はそもそも「言葉」が好きな人間だった。
その中でもその人の事を知れる言葉。
具体的に言うと小説よりエッセイというようなイメージ


その人が見た景色、
それを見て感じたこと
その人の過去、今、未来への想い。

目の前に壁があった時どう切り抜けてきたとか、
その過程でどんな人に出会ったとか。

誰かの人生と誰かの考えを知ることが、私の人生のヒントだった。

リョウガノス。が始まった当初、
「やった...リョウガさんの言葉に触れられる....」
真っ先にそう思った。
私はリョウガさんの言葉から、ヒントになる「何か」を得ようとしていたのかもしれない。

リョウガさんの考えをリョウガさんの言葉で知りたいと思っていたし、それを自分の中に落とし込んで少しでもこの世を軽やかに生きたかった。

それを叶えてくれたのが今回の連載
リョウガノス。でした。

そして 8月23日
書籍化が叶うことが決まった日、みんな忘れないよね

卒業論文完全版(?)の方では、何回目のここの言葉がいいんだよね~!!とか音読会ここ読んでほしいよな~~とか言ってるんだけど、多分この辺で締めないと、「リョウガさんのね、ここでのこういう発言が心に残って!」とかリョウガさんの性格的な話を続けることになって、特に山場のない平坦な文章というか、後方3回半ひねり~前方1回ひねりみたいな大技を繰り広げる事なく、言葉の反復横跳びをしてしまいそうな気がするので。

でももし4000字読みたいという猛者がいたらご一報ください

........。いないだろうけど


こうやってリョウガノス。への思いを自分で書いてきて、なんでここまで好きなんだろうと頭の中を整理出来た気がします。そして私の熱量みたいなものが、Xで繋がってる皆にも伝わってるなという実感がもてて嬉しかった。

私のエゴだけど、#1の締めで「俺なんかが..」と言っていたリョウガさんにこの熱量や想いが伝わって、「連載をやって良かった」と思ってもらえたらうれしいなと密かに思っています。
あ~、本当に伝わって、そう思っててくれたらいいな…
どうか、どうか届いていますように。

※追記:⬆️これを書いたのは# 12の更新前でした。
# 12で私たちの熱量が伝わってることが分かる文章を書いてくれてたの、リョウガさんにちゃんと届いた気がして嬉しかった。

いつか地球が滅亡して、新しい生命が生まれた時「リョウガノス。」という書籍が土の中から掘り起こされて、「なんだこれ?」と見つけた人はなるわけ。そのうちそれを解読できる人が出てきて、それが新しい世界での娯楽になるかもしれないじゃん!だとしたら私、土の中に埋める用のリョウガノス。買わなきゃじゃん!って思ったの。

深夜、パソコンのEnterキーをえいやッと叩き「土に埋める用のリョウガノス。」を楽天で2冊、追加購入しました(嘘です。4分の3は特典目当てで買いました)

そんなふうに未来に思いを馳せていると、リョウガノス。が終わってしまう寂しさから解放される気がするんだよ‍www


そんなわけで私の卒業論文でした。

私の生きる糧、リョウガノス。


ありがとうだいすきだったよ。


そして これから先もずっと






だいすきだよ





私はリョウガノス。復活を諦めていません。
しつこく粘り強くリョウガノス。リョウガノス。と言い続けます。納豆のように、オクラのようにねばねばと

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