dスポーツの祭典
dスポーツの祭典(かぐやSF3「未来のスポーツ」応募作品)
dスポーツの祭典が始まった。
僕はお気に入りのクッションを日当たりのいい窓辺に運んだ。そこに頭を乗せてラグの上にごろりと横になる。
「では、皆さん、良いdスポーツを!」
手の中のタブレットはそう告げて、夕方までのしばしのスリープ状態になった。
僕は緊張しながら目を閉じた。
大丈夫だ、僕はやれる。
爽やかな風がカーテンを揺らした。秋の日差しはあたたかく、dスポーツには最適な日だった。
心臓がドキドキとうるさい。これでは駄目だ。いつものように、いつものように。
目を閉じながら大きく深呼吸をする。心臓の高鳴りは収まってきた。
大丈夫。この日のためにずっと練習してきたじゃないか。
ふっと意識が軽くなる。
脳が浮遊を始めたのがわかった。
いい調子だ。
しばらくふわふわと光の中のような空間を漂う。そのうち花のようないい匂いがしてきた。嗅覚が最初に顕れるのは縁起が良いとdスポーツマニュアルに書いてあった。
僕は知らず気合いが入った。
この祭典で優勝するんだ。そして、父さんの……
僕はハッとして頭を振った。dスポーツではリアルなビジョンは厳禁だ。
脳に残っている父さんの残像は薄くなっていった。
dスポーツは近年盛んになってきているスポーツだ。僕が子供の頃には「スポーツ」と「eスポーツ」しかなかった。
僕が小学生の頃だったろうか。スポーツで肉体を壊す子供たちの増加が問題になってきたのは。スポーツは単に体を動かすだけではない。その優劣を競うことが重視される。また、優れた者がのみが得られる報酬も莫大な金額だった。
高い報酬を得ようと人々は血眼になってスポーツに打ち込んだ。優れた成績を残すことで得られるのは金銭的な報酬だけではなかった。名誉や人々の羨望も得られるのだ。
大人たちは自分が今からスポーツを始めても間に合わない。そのため子供たちに夢を託した。
優れた成績を残すため、肉体を酷使し、薬を注入し。未承認の薬の闇売買も盛んに行われた。その結果できあがったのは、肉体を壊した子供たちだった。
「原点に回帰せよ!」とdスポーツが提唱されたのは、今から二十年ほど前のことだ。
「スポーツとはそもそも、deportare、運ぶこと。気分を転じさせることだ。本来気晴らしであるスポーツが、肉体破壊をもたらす現状はおかしい」
肉体よりも気分に価値を。
そこで始まったのが、僕が今参加しているdスポーツの祭典だった。
様々な色の花が咲き乱れている。風は穏やかだ。上に見えるのは蝶だろうか。小川のせせらぎが聞こえてくる。ここにいるのはとても心地よい。日常を忘れられる。
でも、足りない。この程度の気分転換の場所は誰の脳でも思いつく。もっと、もっとだ。気分をもっと遠くに運ばなければいけない。
脳自体は肉体の一部ではあるが、精神を司る機能を「脳」とdスポーツでは総称している。脳により気分をどこまで運ばせることができるか、それがdスポーツの要である。
次に脳が運んでいったのは、白く濁った水の中のようだった。
ここはどこだろう。
僕はぼんやりとたゆたい続けた。だんだんと思考にもやがかかってくる。この調子だ。このくらい運べればきっとうまくいく。
しばらくすると目の前の白く濁ったものが晴れていく。透明なそのーー。
ーー羊水だ。
そう気付いてしまった瞬間、僕は焦った。
駄目だ、駄目だ。こんなのヒトが安らげる場所の代名詞じゃないか。
もっと、もっと心を無にして。遠くに飛ばすんだ。脳、がんばれ!
痛い。
僕はハッとした。腰が痛い。
何故、こんないいところで!
今、僕は無の境地にいた。多分脳は遠く彼方まで気分を運んでいたのだろう。僕の経験値では脳が処理できない場所にいたに違いない。
僕は焦る。駄目だ、駄目だ。肉体に捕らわれては駄目だ。これじゃ優勝できない。
僕は絶望しそうになる気持ちをなんとか奮い立たせた。
脳、頼む!
痛みがなんだ! 忘れろ! 忘れろ!
ーーピピーピピーピピー
その音で僕は目覚めた。
「お疲れ様でした! dスポーツ競技時間の終了です。今から点数の集計に入ります」
頭の上にあったタブレットがそう告げた。僕は腰を撫でながら起き上がった。床を見る。
しまった、ラグが硬かったか。
心臓がドキドキとうるさくなってきた。
大丈夫。腰が痛みを覚えてから終了の合図が鳴るまでさして時間はなかったはず。
無まで飛翔させた脳が、まさか負けるなんてことは。
結果は惨敗だった。
いや、予選は通過できたので惨敗とはいいがたいだろう。しかし、僕が狙っていたのは優勝だった。優勝して、その賞金で、父さんの。
「では、講評に移ります。講評は選手各自に対してのものが審査員から送られます」
僕は力なくタブレットの画面を「my page」に移した。画面からは美少女アニメのキャラクターのような人間が表示された。
「エントリーナンバー25874番さん。いやあ、あなた、惜しかったですよ」
キャラクターに反して、声は年配の男性のようだった。
「競技開始直後のフラワーガーデン、これはまあおわかりのとおり、ポイントは低いです。しかし、その後! 羊水まで運ばれたのは素晴らしかった」
そうなのか? 誰の脳でも思いつくかと思ったのだが。
男は僕の思考を読んだかのように続けた。
「実はわりと皆さん、羊水まで運ばれるとそこで油断してしまうんですよね。安心してもうそれ以上運ぼうとしない」
僕は自然と前のめりになった。
「あなた、その程度じゃ駄目だと気付いてさらに運びましたね。そしてその先は……で、審査員一同、これは優勝が決まったかなと固唾を呑んだんですが」
僕も固唾を呑んで次の言葉を待った。
「腰痛! 惜しい! 実に惜しかった! 肉体反応に脳が戻ってしまった。これは大きな減点なんですよ。次回、期待してますね」
そこで講評は終わった。
またトレーニングのし直しだ。いや、惜しかったのだ。トレーニング方法は間違っていないし、優勝の実力も僕は持っていた。
腰痛にならなければ良かったのに。そもそも腰なんかなければ。
思うのはそのことばかりだ。
腰がなければ良かった。
そうすれば、父さんの。
父さんのなんだ?
何か心の中に大事なことがあった気がする。が、脳は何も思い出せなかった。そして、脳は「早く運べ」と僕に命じてきている気がした。
僕はどこか逸る気持ちでmy pageを閉じて、dスポーツの祭典メインページに移る。
タブレットには祭典スポンサーのCMが流れていた。
「知らないお兄さんが僕を助けてくれました!」
画面に流れているのは、満面の笑みの松葉杖をついた少年。
「次は、あなたの番です! 皆の笑顔のために。要らない肉体余っていませんか? 肉体移植センター」