短篇小説『かえる』
「おまえ、ひとりなんだろう?
へへ、わかるぜ。もうやめちまえよ、にんげん」
夕方の公園。
ブランコに乗っていた。
背後から声がした。振り返ると小さな蛙がいた。
口をぱくぱくさせている。
「おまえ、ひとりなんだろう」
蛙がまたしゃべった。
僕は立ち上がって顔を覗き込んだ。まん丸い眼をギョロっとさせるが、それ以外の反応はない。
「人間って、辞められるの?」
「おれをみてみろ。おれはにんげんよりえらいんだぞ」
「分かった。僕を好きにして」
そう言った瞬間、視界がぐにゃりと曲がった、違う。公園が、住宅街が、僕と蛙以外の存在全部が、うずまきのようにねじれて消えた。
絵具みたいにない交ぜになった風景の後ろから、クリーム色が現れてくる。クリーム色の中に、茶や黄、白、いろんな色が見えた瞬間、それらはみるみる大きくなって僕のまわりを取り囲んだ。
いつの間にか僕は、見知らぬ部屋の真ん中に立っていた。
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「ほんとうに人間を辞められるの?」
「ああ、おまえはにんげんじゃなくなるよ」
蛙はいつのまにか服を着ていた。舞踏会にでもいそうな、黒いレオタードに高い帽子をかぶった姿で、動き回っている。この部屋は、蛙の部屋なのだろうか。戸棚、衣装ケース、全身鏡、それから椅子とミニシャンデリアまでつり下がっている。
まるで人間の家みたいだ。
「ねえ、何をしてるの?」
にんげんじゃなくなるじゅんびだよ。蛙は戸棚から食器を取り出し、袋から野菜を取り出し、虫の死骸まで引っ張り出して、床に並べ始めていた。
「さあ、ぜんぶたべるんだ」
「分かった」
全てを食べ終わった時、僕の体は突然小さくなり始める。
気がつくと目の前に、自分と同じ大きさでさっきの蛙が立っていた。
「気にいったか?」
今度は、そう答える蛙の姿がどんどん膨らんでいく。
いつのまにか、蛙は「人間」になっていた。
ただの「人間」じゃない。それは、「僕」だった。
「鏡を見てみろよ」
鏡には、「僕」の姿と、今にも踏みつぶされそうな一匹の蛙。
違う、蛙は僕で、「僕」は蛙だった。
「□□□□□□□□□□□□□□、□□□□□、□□□□□□□□□□」
「何言ってるか分かんねえな、。
この世は弱肉強食。お前の叫びは誰にも届かない。せいぜい必死にあがくことだな!」
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気がつくと元の公園に戻っている。
自分が蛙の姿になっていることを除くほかは、いつもと変わらない閑静な住宅街。
2ブロック先に、高校生の後ろ姿が見えた。
見覚えのあるその人物を、ヤツを、「僕」を追いかけて僕は走った。
今までにない筋肉の感覚。自分の怒りに合わせるように体は宙を跳躍した。
必死に追いすがっても、なかなか距離は詰まらなかった。
たかだか百メートルそこらで燃えるように熱くなった体をはげまし、視線の先、交差点一つ隔てた曲がり角にヤツをとらえる。
人間憎し、世の中憎し、自分の醜い背中をねめつけて飛び出した瞬間、エンジン音が轟いて大きな影が横から飛び出し、僕を圧し潰した。
「ざまあみろ」