映画「そばかす」感想
先日、ずっと観たかった「そばかす」が私の地域でも公開されたので駆けつけた。
とてもよかった~~!の情熱のまま感想を打ち込んでいる。台詞や細部が間違っているかもしれない。
・好きな映画と世間
序盤から、意図せずして合コンに巻き込まれる主人公・佳純。恋愛をするぞという独特の空気感がありありと感じられてしんどかったのだけど、セクシャリティと別の部分でも苦かった。
それは、「デートどこ行くの?」「 普通ですよ、映画とか」に続けて、佳純が宇宙戦争の魅力を語るシーン。佳純が宇宙戦争について言葉を重ねれば重ねるほど、周りと温度差が広がっていくようだった。
終盤でも、職場の人から「おすすめの映画は?」と聞かれるシーンがあった。
佳純は同じく宇宙戦争を挙げ、「トムの走り方が」と言った後、職場の人が「トムって言っちゃってる~」と若干嘲笑じみた反応をしたのがしんどかった。 一番しんどかったかもしれない。
面白い映画を聞かれたから、それについて話しているはずなのに。
自分が好きなものについて話して、「どういう所が好きなの?」と聞かれたから話したはずなのに。
相手は初めから私の話す内容には興味がなかったと気付いたとき。
「面白い映画は?」「どういう所が好きなの?」という質問は、コミュニケーションの一環で差し出された、いうなればサービストークだった。なのに本気にしてしまったと気付いた恥ずかしさ。
好きなものなはずなのに、周囲に会わせて「意外とおもしろいんですよ~」と雑に扱ってしまった罪悪感。
いろんな感情がよみがえってしまった。
合コンの後、佳純がラーメン屋にかけこんでいて
あ~さっきの時間でご飯を全然思うように食べられなかったのかな~気の乗らない場での食事はきつい~~わかる~~なんて勝手に同調していた。
・思いこみによるズレ
強制お見合いを経て、小暮と破局(そもそも始まっていたのか分からない)した後、部屋に来た妹が佳純の生き方は羨ましいと告げる。
「私もそうしたかったけど、そういうもんじゃん、世の中って」
そういうもん、で結婚妊娠までたどり着くんだ…と思ったし、
案外、恋愛はともかく結婚の必要性をそれほど感じていない人は多いのかもしれない、とも思った。
同じく恋愛や結婚に必要性を感じないところから、婚活や妊娠に思考を切り変えられるかどうかが圧倒的に違うけれど、この差はなんだろう。
たとえば同じ「火」を思い浮かべているはずが、片や誕生日ケーキに刺さったろうそくの火、片や家を飲み込む業火
のような根本的な認識の違いを感じる。
恋愛や結婚が煩わしいという「火」に対して、妹のそれは消そうと思えば一息で消える「火」、佳純のそれは自分ではどうにもならない「火」のように。
私生活で、「今は恋愛しないって思ってるかもしれないけど」とありがた~い助言をされることがある。だけど、こう言ってくる人と私も、恋愛感情に対して全く違う印象を抱いているからこそ、噛み合わない。
自分の感覚は相手と共通しているという思い込みは強い。
小暮の「恋愛感情がないなんて、そんな嘘つかなくていいよ」という言葉が、そのことを示している気がした。私の本当は、簡単に嘘になってしまう。
小暮と別れて落ち込んでるだろうと思い、元気付けるため佳純のもとへやってくる妹も
音大進学を止めなかった罪悪感で婚活を進めている母も、正直佳純の本意とずれた認識をしているけど、
彼女たちなりに、佳純のことを気遣っているちぐはぐさが優しい。
母と談笑しながら洗濯物を干すシーンといい、家族関係は基本的に良好に見える。
それでも、家族だからというだけで理解し合える訳ではない。
その最たるものが、焼き肉のシーンだった。
真帆の結婚を心から祝福していると佳純が言うと「いいからそういう強がり」「わかった、レズビアンなんでしょ」と叫ぶ妹のシーンで呆然としてしまった。
旦那の浮気による八つ当たりの側面は大きいとはいえ、人の話を聞く気がないまま自己完結されるむなしさたるや……
妹に対する、佳純の「恋愛も結婚も興味ないし、ひとりで寂しくない」「変かもしれないけど!」の言葉があまりに響いて泣いてしまった。
隣のおばさまは、泣き出した父のシーンで笑っていたのいうのに。
今のままでいいという願いを、「変かもしれないけど」と自らおとしめる悲しさ。
何で生きてるだけで引け目を感じてるんだろうなぁ。そういう涙だったのかもしれない。
・佳純の人間力
同僚の八代に、ゲイなんだよねとカミングアウトされて「ふーん」で終わらせるところとか、
友人の真帆がav女優という職業を手慣れたように卑下して語るけど、「同じ演技でしょ?すごいよ」と、まほの卑下し慣れた説明に乗らないところだとか。
八代が「みんながお前みたいだったら」と言っていたように、佳純のフラットな目線は、他人の心を確実に軽くしている。
真帆がこれまで、自分の職業について手厳しいことを言われてきただろうことも、投げつけられるきつい言葉から自分を守るために、最初から職業を卑下するようになったことも透けて見える気がする。
だからこそ、いい意味で相手の想定通りではない佳純の言葉は真帆に響いたんじゃないだろうか。
蛇足だけど、アロマンティック/アセクシャルの人物は総じて人間力が高い気がする。「恋せぬふたり」の高橋さん然り、「今夜すきやきだよ」のともこ然り。
個人的に、佳純が「小学生の頃告白されたけどよくわからなくて」と八代に告げたら
「その頃はまだ分かんないもんでしょ」と返答されて曖昧に笑う佳純の表情がすごく好きだった。
「まだ分からない」という言葉によって、「いずれ分かる」って未来を固定される違和感。
でも、その違和感を伝えるのは疲れる。疲れるわりに伝わらない。佳純の諦めの笑みは、リアルだった。
先ほど、家族だからといって理解し合える訳ではないと書いたけれども、それはセクシャリティマイノリティ同士でも同じだろう。そして、友人の真帆であっても。
・佳純と真帆
真帆との関係を否定したいのではない。むしろ、ふたりの距離感は大変に良かった!
納得できるシンデレラを作ろう!とか、同居の話が持ち上がったときのわくわく感。大人になってからもわくわくできるのは貴重な気がする。BGMも、低音と鍵盤ハーモニカの明るいテーマになったのが好きだった。
その分、いざ完成したシンデレラの紙芝居を披露する場面で、周囲のどよめきが映画館の優れた音響で全身に響いて、ダメージが大きかった。
自分が異常であることをありありと体感させられるしんどさがあった。
どよめきを凝縮したような議員の言葉を、面前で一蹴してくれる真帆が強烈にかっこいい。
佳純と真帆のシンデレラを、観客は最後まで見ることはできない。あくまで想像だけど、彼女たちのシンデレラは、王子様に見初められなくても自分の幸せを知っているような気がする。
・ラストシーン
いろんな方の感想を読んでいると、真帆が結婚をしたことについて賛否両論あったけど
私としては、安心した。
もっと言えば、その後の天藤も含めて
「佳純はすべての心をさらけ出せる存在に出会って幸せでした。」
のような結末ではなかったことが嬉しかった。
もしも佳純にとって救いとなる人物を用意されたとしても、佳純は幸せになるだろう。だけども、その人物は佳純にとってのみの救いにしかならない。
全て分かり合えるということは、素敵なことかもしれない。だけど、実際は違う人間だからこそ難しい。
家族とも、真帆とも、八代とも、そして恐らく天藤も。それぞれ分かり合える部分がありつつ、分かり合えない部分も必ずある。
これまでのストーリーによって、そのことを踏まえられた上で
「自分と同じような人が世界のどこかで生きていると知ってよかった」
この言葉を受け取った佳純を、ひとり走り出させる。その姿は、かわいそうでも、孤独でもなく、満ち足りた存在として描かれている。
「そばかす」という映画は、フィクションの世界だからと佳純にとっての王子様的存在を安易に用意する代わりに、どこかにいる味方の存在を観客に伝えてくれた。
映画の座席を立ってからも、私たちは変わらず社会にもまれ、やりきれないことは絶えず襲い掛かる。
だけれど、観客の心のどこかに残された「自分と同じような人がどこかにいる」という言葉は、これからの日々を生き抜くよすがとなる。
観ている私たちも、佳純のように駆け出す気持ちにさせてくれる素敵な映画だった。
エンディングの三浦さんの歌声めちゃくちゃ好きだ!!