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「レッスンをすることは、すべて学びにつながると思っています」――小林まりか先生(2)

前回に引き続き、チェリストの小林まりか先生のインタビューをお送りします。今回は、ルイス・クラレット先生から学んだことや、チェロの指導者として考えていること、先生にとっての音楽とは?といったお話を伺いました。

スペイン時代、基礎的なことを学び直しながらつかんだ手ごたえ

――いよいよスペイン、バルセロナでの生活が始まったのですね。

ルイス・クラレット先生のレッスンを受けるために、バルセロナ音楽院に入りました。そこで、レッスンと、室内楽、室内オケの授業を受けました。

――ルイス・クラレット先生のレッスンはどのようなものだったのでしょうか。

一番最初のレッスンで教わったことを、よく覚えています。それは、「いかに発音をよくするか」、「そのためには体をどう使うか」、といったことでした。

たとえば、楽器の構え方から始まり、左手の使い方、より効率的な動きをするための腕の角度など、もう今さら誰にも聞けないと思っていたような基礎的なことを教わりました。

基礎的なことでも、音階だけではなく曲を学びながら教えてもらえたこともよかったです。音楽の勢いの中でも使える技術を教わり、すぐに効果が感じられたので、勇気が湧いてきました。

クラレット先生からは、音楽院で3年間教わっていましたが、最初の1年はそうした基礎の徹底だったと思います。教わったことを100パーセントできるようになるまで、作品の内容に関する話は、一切されませんでした。

プラドのカザルス音楽祭のコンサート 1998年夏


――1年間基礎的なことだといやになってしまいそうですが、自分の中で何か手ごたえがあったから続けられたのでしょうか。

確実に手ごたえはありましたね。体の使い方と音の響きの関係、また発音の仕方が変わることで表現が深まることが実感できました。視点や練習の仕方を変えれば、もっと短い時間で上達するのだと気づき、そこから他の曲でも応用できるようになりました。

でも、どの先生にならっても、アプローチの仕方が違うだけで、目指しているところは同じです。教わったことをこちらで実践し続けなければ身につきません。アメリカにいたときは音楽作りの方にばかり夢中になってしまい、実際はテクニックについてもたくさん教わっていたはずなのに、身につかなかった。

――同じことでも、ほかの人から、少し違った表現で言ってもらえるとわかることがありますね。

クラレット先生に教わった体の使い方なども、それまでも違う形でいろいろな先生から教わっていたことでした。ただ、自分が本当に向き合っていなかったのだと思います。スペインに行ってから、アレキサンダーテクニックや野口整体を通じて、体の使い方を学び、理解し始めることができたといったこともあります。

教わったことの組み合わせだったり、タイミングだったり。あのとき言っていたのはこのことだったのかとわかる。それまでに勉強していたこと同士が結びつき始めました。こうした気づきをもらえたことが一番大きかったです。

わたしはネガティブな態度がちらほら出ていたので…。「その曲は難しい」などというと、「なんですか、その態度は。難しい難しいじゃなくて、新しい曲に出会ったら、この曲にはどんなチャレンジがあるんだろうとわくわくするものでしょう!」と叱られたりしました。

自分の妄想で、勝手に難しいと思ってしまう。それを「ダメ!」とビシッと言ってもらえて、ありがたかったです。自分でも意外でしたが、決然と言われることで目が覚めて、自分の思考習慣を変えることができたんです。

指導者として、「目標にたどり着けるように、お手伝いしたい」


――小林先生が指導者として教え始めたのは、スペインにいたときでしょうか?

はい。スペインには町に公立の音楽教室があり、そこで教え始めました。そろそろ仕事を探さないとスペインに滞在できないなと思っていたころに、ちょうどチェロ講師を探していると声がかかりました。

――指導については大学時代に教わっていたのでしょうか。

教育の授業は受けていませんが、イギリスのスズキメソードのティーチャートレーニングの講習会に参加したり、海外のスズキの先生の指導の見学を頻繁に聴講して学びました。

またクリーヴランド音楽院でついていたアラン・ハリス先生はとても献身的な教師で、教師というのはすごくやりがいのある仕事だといつもおっしゃっていました。とても論理的に全ての要素を言葉で表現できる方で、特に体の仕組み、筋肉や関節、体の動きについての知識が豊富でした。音楽の曲想や、様式、曲想の心情などについて説明するときもとても幅広いヴォキャブラリーで精緻な表現する方でしたし、色々な練習方法も教わりました。

それから、師事した先生方が皆精神的にとても安定した方々で、特に松波恵子先生とアラン・ハリス先生は、全生徒に対してとても公平で穏やかな態度で接してくださいました。そのような素晴らしい態度のお手本があったおかげで、指導する側に立つようになった私も安心して生徒さんと向き合うことができるのです。

――先生にとっても教えることは楽しいことでしょうか?

はい、すごく面白いと思っています。色々な意味で学び続けることができ、また生徒さんの人柄に触れることで、自分自身の人間的成長につながるお仕事だと思います。

――教えながら先生ご自身も学べるということでしょうか。

はい。レッスンをすることは、すべて学びにつながると思っています。生徒さんが一番望まれていることは何か。音楽を楽しみたいか、チェロの技術を身につけたいのか。そういったことをできるだけ汲み取って、将来的に生徒さんの思い描く目標にたどり着けるようにお手伝いでき、有意義な時間だったと感じていただけるように努めています。

――先生ご自身も振り返りながら教えているのですね。

自分自身、息抜きをしてこなかったことに気づいたりもしています。「楽しむ」という時、実際どんな風に感じるのかわからなくなっていたような気がします。楽しむ前に、「上手く弾けなければいけない」ということに翻弄されすぎていたかもしれません。

日本語で「楽しむ」というと、軽薄なイメージを抱かれることがありますが、アメリカでもスペインでもよく「楽しみましょう」と言う言葉を聞きました。最近は日本でもよく言われていると思います。

わたしはいつか、彫刻かデッサンをやってみたいと思っています。音楽以外で、唯一中学時代に夢中で取り組んだ記憶があり、やりたいと思っていたことです。自分は美術にどんなふうに取り組みたいかなと想像しながら、生徒さんに向き合っていきたいと思っています。

「音楽の旅 No.2」演奏会後、共演者と。2024年8月(一番左が小林先生)

音楽は、自分にとって一番自由になれる場所

――日本に戻られてから、しばらくはチェロから離れていたそうですが。

はい。子どもの世話にかかりきりで、練習もほとんどできませんでした。でも、そのころは音楽から少し離れる休みが必要だったのだと思います。これまで何度かチェロのスランプがありましたが、一度も休むことはしませんでした。

その分、今純粋に音楽を聞いたり楽器に触れるひとときが新鮮に感じられるようになりました。やはり自分は芸術を通して世の中を見ているので、チェロが自分と芸術の橋渡しをしてくれるのだと思います。

期限までに仕上げなければならないプレッシャーが辛かったことはありますが、音楽が嫌だったことは一度もありませんでした。素晴らしい作品に触れることができる喜びで、つなぎ留められたのではないかと思います。

――今が一番音楽を楽しんでいるとおっしゃっていましたね。

音楽はいつも楽しんでいたと思いますが、楽器を弾くのが今一番楽しいです。NYにいたころは技術的なハードルの越え方がわからなかった。でも、今はハードルを越えられるという仮定ができるようになりましたから、昔はできなかったチャレンジができるという楽しみがあります。

――衰えない向上心がすごいと思います。

自分が音楽から受けた感動が伝わるような表現の幅、奥行きが出せるようになりたいと、ずっと思い続けています。

――先生にとって、音楽とは何でしょうか?

そうですね。「一番自由になれる場所」でしょうか。

人間にはいろいろな感情があります。音楽に触れることによって、いま知らなかった感情を、自分も感じることができるようになります。enthusiasm(歓喜)とか、感情が爆発するような曲を聴いて、エネルギーをもらう。人間として、自分も同じように感じることができるのだなと。そういう部分が大きいと思います。

普段の生活だと出てこない自分の中にある感情。音楽は聴いたり演奏したりするだけで、それを自然に引き出してくれるものなのです。

――最後に、今後の活動の予定があれば教えてください。

12月28日に、日本セントラルオーケストラの演奏会に出演させていただきます。ベートーヴェンの第九交響曲を演奏できるのが本当に楽しみです。

――本日はたくさんのお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

(了)

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