見出し画像

ぼっちちゃんという人間


この2日間でのぼっちちゃんの印象

私は映画の上映に合わせて初めてアニメ版の「ぼっち・ざ・ろっく!」を観てみた。その中で主人公の後藤ひとりは主人公としては中々いないタイプだと感じた。彼女はいわゆる"陰キャ"や"ナード"の部類に入るのだろうことは皆様でも分かっただろう。私から見た時に彼女はどうしても彼女の性格がただの"陰キャ"ではない、特殊な陰キャであると感じた。

ただの陰キャではない(ここから辛口・ネタバレ注意)

ここからは少し辛口になってくるのではないかと思うので読み進めるかは考えていただきたい。私はこれまでの決して長くない人生の中で陰キャと呼ばれるような人と会った。実際に彼ら彼女らと話をしたこともあった。彼ら彼女らは既存の自分が詳しい物や得意な分野(専門領域)と自分に親しい者以外との交流を避ける傾向にある。ぼっちちゃんの専門領域はインターネットでのギター・ヒーローとして、インターネット上でのギターのソロプレイ活動だろう。親しい者としては家族が挙げられるだろう。しかしぼっちちゃんは親しい者以外と話すのに苦戦しながらも話しかけられたいという心持ちがある。しかし人と話すのがかなり苦手、話しかけられるのが苦手であるというのは彼女が抱えている矛盾だと言えるだろう。

その要因と彼女が抱える課題

彼女が抱えるその矛盾は彼女の自己肯定感の低さとそれを解消したいという思いがあるのではないかと考えた。彼女は自分が本当に人と関わることができるのか、自分が関わっていていいのかという点に不安を持っている。人と関わって良いのかということには良い悪いということは言えないが人と関わることがほぼできないという彼女の自認は事実である。そしてテレビでロックスターを見た時に、自分でもこうなれるのではないかと考えてギターを始める。非力な彼女が自分でもできる、自分でもやれると考えギターを始めるのは彼女が自分を変えるという意志の表れだろう。しかしギター自体は上手くなるものの、それを通じて人とのコミュニケーションなどが変わることは無い。むしろ彼女はギターが上手くなればチヤホヤされる、音楽好きであるということが分かれば他の人から話しかけられると考えた。そのため自分から人と関わることができずにその機会を失い続けた。そして、そのまま人と関わることができなくなってしまった。彼女はギターを媒体としてではなく自分が認められる手段としてしか捉えられていない。そしてそこから派生する人と関わる経験が少ないからこそ、自分のコミュニケーション能力が無いことを顧みず行動してしまうことに大きな課題がある。そこのスペックに見合わない行動はギター・ヒーローとしてネット上で認められたからこそできたプライドによるものであるのではないかと考えられる。簡単に言うと人と関わることが極度に低いからこそ人生経験が足らず、強がって自分のスペックに合わないものを引き受けてしまう。そして話しかけられたいのに話せない、かといって自分から話しかける積極性も無い。これが彼女自身の課題であると考えられる。

結束バンド

本作の救いは結束バンドのメンバーである。彼女たちはぼっちちゃんを誘うだけでなく、バンドメンバーとして受け入れサポートをする。そしてそのサポートがあるからこそ様々な経験をし、少しずつぼっちちゃんは成長していっている。これは本作の救いだが、それにしては彼女がしている経験に対して彼女自身の成長が遅い。これは彼女の経験が彼女が生み出したものではなく、良くも悪くも彼女が受け身の状態の時に飛んできた。そして周りのサポートが手厚すぎるからこそ、彼女自身が脳死でその時の感情や感覚だけで行動してもある程度上手くいっている。だからこそ彼女の世間への認識の浅さ、言動の計画性の無さ、積極性の無さがあまり解消されていないのではないかと考えることもできる。ただし高校1年生という時期であり、精神的に安定しているとは言い切れない時期である。そして短い時期にそれらの経験をしたため精神的な成長が出来事に対して追いついていないのではないかと考えることも必要だと考えられる。

これから

ぼっちちゃんのこれからの成長には彼女自身がバンドメンバーに頼りきらないこと、自分から行動すること、肩の入れすぎてる力を抜く、そして後のことを考えるようにすることが必要であるだろう。そこにおいては周りのサポートもあるし何より彼女自身がしている体験の多さがあるため十分に可能だと思える。

いいなと思ったら応援しよう!