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【エッセイ】#03 とんかつ カトレヤ
とある友人のXのポストで知った閉店の知らせに息を呑んだ。
しかし、いつしかその日が来るのだろうと、思うまでもなく頭の奥の奥の方にあった予感ではあったから、しんみりと、湧き上がってくる記憶や温かみに思考をそのまま晒す。ここにこうして書き残すことが、自分があの店を思い出すのに必要で、大切なことのように思える。
目白通りが環七と交わる辺り、北に道を入って少し歩いたところに『とんかつ カトレヤ』はある。私が東京に住んでいた頃によく通っていた。
社会人になって関西から出てきた私が、東京で初めて住んだ町にあるあの小さなトンカツ屋さんを忘れられないのはなぜだろうか。
Googleマップで久しぶりに当時住んでいた周辺を見てみると、店のところにハートのお気に入りマークが付いていた。
周辺にも東京にも他に行った店などたくさんあるのに、店主の表情や声、肉を揚げる手つき、添えられて出てくる漬物の味まで思い出せる店は他になかった。
家から歩いて行けるという点に、私は過剰なまでに加点するところがある。だけどそれだけではもちろんない。
味の良さ、こぢんまりとした店の小ささ、一人でも入れる程よい寂しさ。挙げ出せばいくつも浮かび上がってくるのだけど、それだけだろうか。
きっとこれからも忘れないと固く言えるのはなぜなのだろうか。
いつものようにその店を訪れた土曜日の夕方、店に先客は誰もいなかった。店内は古く艶がかった木材を壁やテーブルにたくさん使い、全体として明度の落とした内部はカウンター席と二人掛けのテーブル席が二つあるだけで、見渡すまでもなく全てが目に入る。
いらっしゃい、と言いながら私の顔を見た店主は八十歳を越す女性である。私の顔を見るなり、気の許したように表情の筋肉や肩の力を抜く。何にしましょう、と問いかけに一応壁にかかる手書きのメニューボードには目をやりカレーやカキフライ定食の文字を読みはするが、いつもの通りトンカツ定食を頼んだ。
お湯呑みに注がれた温かいお茶が出てきて、今日は仕事?などと会話を挿みながら、分厚い豚肉が油の中に放り込まれる。弾ける音が私と店主の二人しかいない店内に響く。背中越しに今日は仕事は休みで、たいして何もしていないその日の朝からのことを簡単にまとめて告げる。油の音の中での何気ない会話が、心を平らにしてゆく。
湯気の上がる味噌汁がカウンターテーブルに置かれ、その後に付き合わせのきゅうりと大根の漬物が並び、白米が盛られた茶碗が置かれる。その後にコレと言って出てくるのは小鉢。時にはお野菜の煮付け、時には自家製で漬けている大粒の梅、ここに通って間もない頃には添えられることのなかった常連さんのサービスの小鉢だ。そのちょっとした贔屓が私を得意げにしてくれる。
俎板の上に載せられた揚げたてのトンカツを包丁でザクザクと切り分け、千切りキャベツの敷かれた大皿にとんと並べられる。
その手際の良い作業を私は音だけで楽しんでいた。啜った味噌汁は美味い。インスタントでない、人の手で出汁から取られた味噌汁は、東京に一人暮らしを始めた私にとってかけがえのないもの。漬物は酸味が強くなぜか口に運ぶ度に祖父母の家を思い出す。
目の前にようやく大皿が出てきて、仕上がったトンカツ定食。自分にご褒美という気分の日には四百円ほど高いロースカツ定食にした。
スタンダードな風味のソースをかけて、レモンを絞る。
店内の壁の高いところでかけっぱなしのテレビには夕方の番組が流れている。店主は厨房から客席の方に出てきて、二人掛けのテーブルの椅子にちょこんと座り、私と同じ方向へと顔を向けて、テレビを見る。
店主の彼女がぼそりと、しかしどこか誇らしげに口にしたのは、このお店が夕方のニュース番組「ニュースエブリ」で取り上げられたという話だった。
この店は創業五十年を超える。夫であった店主の他界、彼女はその後の長くを一人で切り盛りしてきた。数年前に一度病気で店を閉じたこと。常連さんたちが作ってくれた寄せ書き。
この話を私は、店主の口から何度か聞いた。二人っきりの店内でも、他のお客さんがいる少し賑やかな店内でも、何度か。
隠すことなく自慢話も多く含まれていた。その四半期を超える苦労を、思わずしゃべりたくなる自慢を、この店に注がれた愛を、たくさん語ってくれと、私はトンカツを口に入れ、香ばしさと脂の旨みが広がる中で思っていた。こんな若僧で構わないなら、なんでも思うままにしゃべってくれと思った。それほどに出されるものたちが美味しかったからだろうか。
入り口の引き戸が開き、暖簾をくぐって入ってきたのは男だった。その素ぶりからして彼も常連だろう。大柄で六十前後といった感じ。気さくな話し方は私のものよりも随分くだけている。
彼はカウンターの席を一つ空けて座り、瓶ビールを頼んだ。店主の彼女がビールをグラスに注ぐ。まだ空けてもなにのに、冷蔵庫からもう一本を取り出して、栓を開けた。グラスをさらに二つ出して、一つは自分に、もう一つは私に差し出した。
いいんですか? いいの、いいの。この人の奢りだから。え?おれか? そりゃあんた以外に誰がいるの。
大柄の男はガハハと笑って、保冷バッグを取り出して中から一匹の魚を取り出した。今朝釣った魚だという。アジだろうか、なんだっただろうか。
ほんならこれ、捌いて出してな。と言い、店主はそそくさと厨房に戻って、俎板の上で魚を捌き始めた。
トンカツ屋さんとは思えない、滑らかな捌きであっという間に小皿に刺身が並ぶ。
そのうちの一つを私の方にも差し出してくれた。
ビールを飲んでつまみに刺身を口にする。酸っぱい漬物がちょうどいい。
それから三人で、いや他にも常連さんが次にやってきただろうか。店主の彼女と賑やかに、話した内容は全く覚えていない。
少し長いしてしまった。会計を済ませて暖簾をくぐる前に振り向いて、彼女の顔を見ながら、ごちそうさまと告げた。
あの店での一連の記憶はたった一日のものではない。数日の記憶が混じったものであり、私はそれをまるで一つの晩のことだったかのように記憶している。
創業し店を開け続けてきた五十年を超える年月。その中で私が訪れたのはたかが二年ほど。それなのにこれほどに濃い温度の記憶が残っている。
ならば五十年という年月で、あの店にはどれほどの記憶と思いが詰まっているのだろうか。
数えきれないほどの人の思い。常連さんの思いも、一度しか行かなかった人の思いも、みんな抱き込んで、あの場にずっと暖簾をかかげ開けてきた店の、一日として、私は記憶して、ここに記しておくことができる。
少し入りづらい佇まい、締め切った入り口の扉を、勇気を出して開いて中に入って本当によかった。
#02 とんかつ カトレヤ