掛井五郎の心
純真な心。
掛井五郎を言い表すのなら、この言葉に尽きる。
かつて、ピカソも言ったように「子どものような絵を描きたい」という言葉は、芸術家の極致といえる。
大人になるにつれて、人は子どものような純真な心をなくしてしまう。
一部の天才だけが、技術や知識を蓄積しながらも、子どものような心を保ち続ける。
掛井五郎は、その稀有な存在のひとりである。
彼の作品には、一切の作為がない。
上手く作ろうとか、立派に見せようと言った、見栄もない。
素朴というと、陳腐に聴こえるが、他に適当な言葉が見当たらない。
芸術には、技術が必要である。テクネーというギリシア語は、芸術の語源だが、技術という意味である。手業という意味もある。
しかし、芸術は技術だけで十分なのかと問われると、そうではないと言わなくてはならない。
では、何が必要か。
それは、心である。
心がなければ、どれほど、高度な技術を有していても、「仏に魂入れず」になってしまう。
では、心とは何だろう。
それは、無為である。
人の思惑では計り知れない稀有壮大な海のような存在である。
一如と言ってもよい。
この一如とひとつになることで、いやもともと一如は分離しておらず、大いなる一なるものなのだが、崇高な作品が生み出されてくる。
掛井五郎の作品は、一如の一滴といえるのである。
一如とひとつになるには、純真な心がなくてはならない。
私は、掛井五郎の作品から、一如と一つになる心持ちを教わった気がする。
これからも、純真な心で、詩を書き続けたい。
詩人 たいいりょう